Tim Schwab著「The Bill Gates Problem: Reckoning With the Myth of the Good Billionaire」

The Bill Gates Problem

Tim Schwab著「The Bill Gates Problem: Reckoning With the Myth of the Good Billionaire

ビル・ゲイツとゲイツ財団が全世界に及ぼしている過剰な影響力と「良心的な億万長者」による慈善事業のモデルの弊害を訴える本。著者は早くからゲイツ財団についての調査報道を続けてきたジャーナリスト。

ゲイツ財団が設立されたのはゲイツが創業したマイクロソフトが独占禁止法違反で訴えられ企業イメージが悪化した直後。当初はそれほど特異な存在ではなかったけれど、ゲイツがマイクロソフトの経営を退いてゲイツ財団に本腰を入れてからは、自身の巨額な財産だけでなくウォレン・バフェットらほかの大金持ちからの寄付も集めて世界最大の財団となり、「全ての命の価値は同じ」という信念のもと、世界各地でワクチンの開発や普及、教育、農業、家族計画などさまざまな分野に多額の資金を投入している。しかしその実態は、欧米政府や民間企業と共同でゲイツやその側近が考える市場主義的・効率主義的・技術至上主義的な解決を現地の人たちに一方的に押し付けたあげく、失敗しても(「最速で失敗しろ」というシリコンバレーの発想そのままに)その結果に責任を持たずにあっさりと撤退して犠牲者を置き去りにする、帝国主義的な慈善事業を展開している、と著者は指摘する。

たとえばゲイツ財団は新たなワクチン開発のために製薬会社に資金を投入し、あるいは特別な技術を開発したベンチャー企業を資金面から支配して大手に買収させるなどの影響力を行使すると同時に、ワクチン開発を奨励するためには製薬会社の独占的な利益を保護するべきだとして知的財産権の強化を進めている。ゲイツ財団がワクチン普及活動を行っている多くの国では通常の医療を行うための設備や専門家が不足していてワクチンよりも優先されるべき支援はほかにあると現地の人たちは訴えているのに、「投入した資金に対して何人にワクチン接種したか数字で評価しやすい」という支援側の事情によって優先順位が決められている。

また、コロナウイルス・パンデミックが起きた2020年には、オックスフォード大学が開発中だったCOVID-19ワクチンの知的財産権を放棄して世界中どこでもライセンス料を払わずとも自由に生産できるようにしようとしていたのに、ゲイツ財団が介入して製薬会社のアストラゼネカと独占的に組ませたことが報道された。世界的なパンデミックに対応するためにワクチンの知的財産権を停止するか、せめてワクチン製造能力のある企業に強制的にライセンスを与えるようにするべきだという声をゲイツは「バカげている」と一蹴した。かわりにゲイツ財団は先進国から寄付された資金で途上国が必要とするワクチンを買い上げる仕組みを推進したが、先進国がより高い金額を製薬会社に提示して買い占める結果に終わった。

都市部の黒人やラティーノなどの教育向上を目指して米国内で後押しした教育の全国共通基準とそれを使った教師の評価やチャーター・スクール制度の導入、アフリカの農業の生産性をあげるための大規模農場化や遺伝子組み換え作物の普及、避妊インプラントの普及など、ほかのさまざまな分野でもゲイツ財団は実際にそうした介入を受ける人たちの意志を無視し、かれら(とマッキンゼーやボストン・グループなどのコンサル会社)が考える「効率的な」解決策を押し付けている。教師や学校に競争させれば成果が出るはずだ、技術を導入して農業を効率化すれば食糧事情が改善される、長期的に効果があり現地の医療事情では取り除くことができない(仮に副作用があったとしても)インプラントが人口コントロールには効果的だ、といった効率主義的な発想により、実際に貧しい家庭の子どもが多く通う教育現場の状況や、大規模化により失業する農家の人たち、自分の体をコントロールしたい女性たちの存在は考慮されない。

こうした事業に使われている資金の約半分は各国政府が提供する協力金、すなわち税金から支出されており、またゲイツが寄付した資金も、かれが自分の財団に寄付していなければ半分は税金として取られていたはずなので、ゲイツ財団が行っているさまざまな事業の大部分は実際には税金で運営されているようなもの。しかしゲイツはその資金をメディアにばら撒いたり、視察の名目で政治家を家族ごと海外旅行に招待したり、ゲイツの子どもが通うエリート私立高校に150億円も寄付したりと自由に使っている。なかにはゲイツが個人的に投資している事業に有利になるようなプログラムにゲイツ財団のお金が使われていたりもあるけれど、私利私欲のためというよりは本気で自分は世界を救うためにやっていると思っていそうなところが余計に怖い。

怖いといえば、未成年の性的人身取引などの罪で逮捕された実業家・慈善家のジェフリー・エプスタインとの関係について、ビル・ゲイツははじめ慈善事業について会ったことがあるだけだと説明していたけど、かれがエプスタインと一緒に自家用機でかれの別荘に行くなど何度も会っていたことやその場にエプスタインが女性を侍らせていたことなど続々と明らかになった件も、すぐにばれるのに何をそんなに隠そうとしていたのか気になる。エプスタインはビル・クリントンやトランプなど多くの政治家や有名人と交友があったけれども、ゲイツの場合はほかの多くの人たちと異なりエプスタインが有罪判決を受けたあとに付き合い始めた、という点が特殊。ゲイツはマイクロソフト時代から部下の女性に対するセクハラの訴えが多いし、ビジネス上のパートナーだったマイクロソフト共同創業者のポール・アレンや2021年に離婚した元妻のメリンダ・ゲイツに対する扱いもいろいろ酷い話が聞かれる。

パンデミック以降、SARS-Cov-2の開発に関わっていたとかワクチンを使って5G通信ができるマイクロチップを人々に埋め込もうとしているとか、ゲイツは荒唐無稽な陰謀論の対象となったけれども、ゲイツ財団が行使している影響力の大きさは現実。わたしの周囲(シアトルの非営利団体や運動界隈)ですら、そんな悪どい話でなくても単純に莫大な資金力でほかの関係者を圧迫していることは見聞きするもの。なにか悪いことをたくらんでいるというわけじゃなくて、ゲイツは本心から自分は世界最高峰の天才であり考えの足りないアフリカやアジアの人たちを救ってやろうと思っていそう。

てか本当のところ問題はゲイツでもゲイツ財団でもなくて、一人の人間にそこまで大きな権力を与えるような貧富の差だと思う。なんの責任も問われない人たちが多くの人たちの生活に影響を行使する点や、効率を重視することで数字としてあらわれにくい弊害や成果が見えにくい支援が無視される点など、かつてゲイツ財団でゲイツの右腕として働いていて現在はロックフェラー財団を率いているRajiv Shahの「Big Bets: How Large-Scale Change Really Happens」を読んで「ちょっとこれは…」を不安に感じていた問題点がきっちり指摘されていて良かった。