Tess Wilkinson-Ryan著「Fool Proof: How Fear of Playing the Sucker Shapes Our Selves and the Social Order―and What We Can Do About It」

Fool Proof

Tess Wilkinson-Ryan著「Fool Proof: How Fear of Playing the Sucker Shapes Our Selves and the Social Order―and What We Can Do About It

騙されたり利用されたりして「愚か者」とみなされることに対する恐怖が社会の相互不信を高め社会政策を歪めていることを指摘する本。

騙されたり利用された結果「愚か者」とみなされることを過剰に恐れる心理は2007年に実験心理学者たちによって「sugrophobia」と冗談交じりに名付けられた。もちろん騙されたり利用されて損害を受けることを恐れるのは当然だけれど、本書で取り上げられているのはそうした直接の被害では説明のつかない、「騙された愚か者」というスティグマや自己認識を恐れる心理だ。たとえばレストランで支払いに使ったクレジットカードの情報が流出して不正利用されるより、路上で貧しい子どもを助けるための募金を募る人に教えたクレジットカードの情報が悪用されたほうが、仮に金銭的な損害は同じでも心理的なダメージが大きい。

どういう状況であれば人が金銭など直接的な被害では説明のつかない「愚か者を演じてしまった」ことによる心理的な被害のダメージを受けるのかは、ゲーム理論的な実験によって解明することができる。このあたりは公共財ゲームや信用ゲームなどさまざまなベーシックなゲームを説明したうえで、その設計をどう変更すれば金銭的利害と「愚か者を演じてしまう恐怖」を区別できるのかなど面白かったのだけれど、説明すると長くなりそうなので興味ある人は本書を読んで。まあとにかく、わたしたち人間は、「愚か者」を演じることをその損失では説明できないくらいに恐れ、それを避けようとして過剰反応してしまう。

そうした人間の心理を突くのが、移民や福祉制度に反対する多くの保守論者や保守政治家たちだ。かれらは決して弱者の保護や支援を支持しないわけではないが、福祉制度は本当に保護や支援を必要とする自国民や自分たちの仲間ではなく不正受給を受けようとする移民や非白人の貧困層に食い物にされている、としてそうした制度に反対する。レーガンが選挙戦で宣伝した「福祉の女王」のステレオタイプがそれだし、立候補を発表する記者会見で「メキシコは善良な人たちではなくレイピストや殺人犯を送り込んで来ている」と宣言したトランプのレトリックもその例だ。

これらの例からも分かるように、「愚か者扱いを受ける」ことの恐怖はその根底に「本来なら自分より下の立場の人たちにいいようにしてやられる」ことに特に憤慨する人種差別的・排外主義的な価値観と結びついている。たとえば大企業が政治献金などを利用して政府に対する発言権を得て巨額の助成金を受け取っていたことは一般納税者の批判を浴びこそするものの、それはある意味世の中の当たり前の様子として受け入れられており、貧しい人たちによる(多くの場合は意図すらしていない)不正受給ほど社会からの感情的な非難を受けることはない。

弱者による不正を恐れるこうした傾向は、たとえばホームレスの人たちに無償の住居や医療を提供したほうがかれらの生活が向上するだけでなくかれらの生活支援にかかる公的予算の支出全体が減らせることが明らかになっても、そうした提案を拒み当人たちにとって不利なだけでなくより社会的なコストもかかる政策に固執したり、受給資格を厳しく審査するために不正受給の防止によって浮く以上のコストをかけるのも、「自分たちまっとうな納税者たち」が社会的弱者によって騙されたり利用されて「愚か者」扱いを受けることを恐れる心理と繋がっている。

また、男性がガールフレンドや配偶者の女性の貞操を疑ったり、性暴力被害を訴える女性たちがやたらと疑われることにも、一部の人が言うような「女性は自分の子どもが血の繋がった本当の子どもだと分かるが男性はそうとは分からない」ことに由来する進化心理学的なものではなく、女性が置かれた社会的な地位の確認と維持と繋がっていることを指摘。それが真実であろうとなかろうと、常に女性は周囲の男性を騙して「愚か者」の地位に貶める信用ならない存在だと位置づけられている。

こうした社会政策上の、あるいは社会権力上の問題に対して、著者はsugurophobiaをフォビア(恐怖症)としてまっとうに対処することを提言する。不合理な恐怖の治療の王道といえば、恐怖の対象としているものに段階的に近づきつつ耐性を培っていく暴露療法。たとえば蜘蛛の恐怖を克服したい人は、蜘蛛について話をしたり絵を見るところから、写真を見たり、ケースの中に閉じ込められた蜘蛛を見るなどして、恐怖が直接危害に繋がらないことを段階的に体得していく。

同じように、「愚か者扱いを受ける」ことへの過剰な恐怖を減らすには、それが社会の誰のためにもならない不毛な社会政策に直結していることを周知させるとともに、わたしたち自身が騙されたり利用されたりすることによる被害を想像しつつそれが現実の損失とは結びつかないこと、少なくとも恐れているほどの被害はないことなどを認識していく必要がある。フォビアを克服した人たちが、騙されたり利用されることがあってもそれを過剰に恥と感じるのではなく堂々と「だまされた」と公言することで、「愚か者」を演じてしまうことに対する社会的な恐怖が合理的なレベルまで軽減される必要がある。