David Edmonds編「Future Morality」

Future Morality

David Edmonds編「Future Morality

現在生じつつある、あるいは近い未来に起きる倫理的問題について考察する論集。未来の人々、機械、コミュニケーション、身体、死という括りにわけて24のトピックが応用倫理学者を中心とするそれぞれの論者によって論じられる。24章もあることから個々の分量は短く、倫理的ジレンマのさわりを紹介する程度に終わっているのは仕方がないのだけれど、全体的にヌルい。

本書で取り上げられているテーマについて過去に読んだ本、たとえば人工肉(Chase Purdy著「Billion Dollar Burger」、Larissa Zimberoff著「Technically Food」)、メタバース(Matthew Ball著「The Metaverse」)、アルゴリズム的社会政策(Virginia Eubanks著「Automating Inequality」)、自動運転車(Alex Davies著「Driven」)などと比べても(ここまでで11章分、残りは省略)、倫理学の視点から新たに考えさせられた点は少ない。むしろ想定される「未来の問題」がもうすでに起きていたり、現実に既によりシビアな問題が生じていたりするあたりが、ヌルいという感想を抱いた理由。

わたし的におもしろいと思ったのは、人工子宮の発達や遺伝子治療が女性のリプロダクティヴ・ライツとの関係で生み出す問題について扱った章や、ロボットが犯した犯罪をどう扱うかという章。前者はただでさえ悩ましい状況にある女性の自己決定権をめぐる問題がさらにややこしくなりそうだし、後者では「ロボットの設計者の責任を問う」「ある程度以上発達したロボットを責任主体と認めてロボットを罰する」という選択に加えて、「ロボットの責任を問えない理由を人間にも適用することで、犯罪の責任は個々の人間にも問えない」という解を導いているところがおもしろかった。

「ジェンダーの廃止」という章では、性役割やジェンダーステレオタイプからの自由を突き詰めるとジェンダーは廃止されるしかないとしたうえで、ジェンダーを廃止することはトランスジェンダーの人たちにとってのアイデンティティの根幹を揺るがしその存在を抹消することになるので良くない、というCull (2019)の主張を検討したうえで、ジェンダーが廃止された社会におけるトランスジェンダーの人たちを「明治維新によって士族にされアイデンティティを失った侍」に例える。新たなアイデンティティに適応してうまく生きた人もいれば、適応できず不毛な反乱を起こした人もいた、という史実をふまえ、社会の中では特権階級であった侍にくらべトランスジェンダーの人たちはマイノリティであり地位が低いのでより手当てが必要であると論じる。って机上の空論にも程があるでしょ!おまけに「さらにこの問題について詳しく学ぶため」としてジュリア・セラーノの「Whipping Girl」(邦訳がもうすぐ発売されるらしい?)やフェミニスト哲学辞典のトランスジェンダーの項目を読むよう読者に勧めているけど、論考の内容と関係ないし、いい加減すぎる。なんでこの章をふつうにフェミニストやトランスジェンダーやフェミニストでありなおかつトランスジェンダーの哲学者に書かせないんだ…