Judith Butler著「Who’s Afraid of Gender?」

Judith Butler著「Who’s Afraid of Gender?

「反ジェンダー」の掛け声がクィアやトランスに対する攻撃にとどまらずリプロダクティヴ・ライツの否定や移民排斥、「批判的人種理論」批判を口実とした白人至上主義やキリスト教ナショナリズムへの居直り、宗教原理主義的な道徳の押し付けなどに繋がる国際的な極右運動のネットワークの共通言語となっている現状に対抗する、ジュディス・バトラーせんせーの新著。

欧米だけでなくアジア・アフリカやラテンアメリカなど各地で極右運動(と、主にイギリスのフェミニズム)による「ジェンダー・イデオロギー」への批判を聞いていると、ジェンダーとは国際資本主義の押し付けであると同時に共産主義だったり、極端に個人主義的でありながら全体主義的だったり、履き違えた無規範な自由主義でありなおかつ自由に対する最大の脅威だったりと、まるで矛盾だらけで要領を得ない。それでいて核兵器よりも危険でヒトラーより邪悪だと表現される「ジェンダー・イデオロギー」は、批判者のなかであらゆる矛盾した不安や不信を押し込めたファンタズムであり、ジェンダーを否定する結論だけが先にあってそれを否定する論理には一貫性が求められていない。本書はそうした「反ジェンダー」の国際的なネットワークを、実際の政治の現場やそれを後押ししたカトリックや福音派プロテスタントを中心とする宗教的なドグマなどをカバーしつつ、その掛け声のもと自由と生を奪われるクィアやトランス、女性、移民、先住民、その他の人たちの連帯の必要性を訴える。

実際の国際政治を扱っていることもあってかバトラーの本にしてはかなり読みやすいのだけれど、終盤の「ジェンダーは欧米の価値観を押し付ける帝国主義である」という論点に対する反論の部分だけはたぶんみんなが思うバトラーの文章っぽく読みづらい。実際の帝国主義がどれだけ非欧米の多様なジェンダーのあり方を押しつぶしてきたか、そして「ジェンダー帝国主義」を批判するキリスト教会こそが実際にそうした暴力を歴史的に行ってきたか、と示すだけならおそらくわかりやすかったのだけれど、さらにセックスとジェンダーがともに植民地主義や黒人奴隷貿易の過程で人種的に生成されてきた事実や、しかし同時に「ジェンダー」という英語が各国の言葉に翻訳される中で帯びてしまう帝国主義性についても触れているうちに、わかりにくくなってしまったような。もちろんこの部分も大事な内容なんだけど、最悪この部分だけ飛ばしても十分本書を読む価値はあるかな、と思う。逆に興味を持ったけど分からなかった人は、引用されている文献をたどってください。

ところで初めて知ったけど、バトラーせんせー、カリフォルニア州に申請して免許証の性別をXにしたらしい。てゆーか表紙の色もノンバイナリーフラッグだし!