Becca Andrews著「No Choice: The Destruction of Roe v. Wade and the Fight to Protect a Fundamental American Right」

No Choice

Becca Andrews著「No Choice: The Destruction of Roe v. Wade and the Fight to Protect a Fundamental American Right

2022年6月の最高裁判決Dobbs v. Jackson Women’s Health Organizationによって妊娠中絶の権利を認めた50年前のRoe v. Wade判決が破棄され、南部を中心に多くの州で妊娠中絶が厳しく制限されることになったことを受けて出版された本。著者はリプロダクティヴ・ジャスティスについて扱ってきたジャーナリストで、Roe判決以前・以後を通して女性たちや妊娠中絶の権利を守るために戦ってきた活動家や医療従事者のストーリー、そしてかれらの思いや失敗などを通して、Roe撤回以降の取り組みを展望する。

妊娠中絶を守るための闘いの歴史についてはこれまでもMary Ziegler著「Abortion and the Law in America: Roe v. Wade to the Present」および「Dollars for Life: The Anti-Abortion Movement and the Fall of the Republican Establishment」、Lauren Rankin著「Bodies on the Line: At the Front Lines of the Fight to Protect Abortion in America」、Kathryn Kolbert & Julie F. Kay著「Controlling Women: What We Must Do Now to Save Reproductive Freedom」、Katey Zeh著「A Complicated Choice: Making Space for Grief and Healing in the Pro-Choice Movement」などを紹介してきたけれども、本書では政治家や法律家ではなく実際に中絶を経験した人たち(ほとんどが女性だけれどノンバイナリー自認の人も含まれている)や中絶を行うクリニックで働いていた人たちの証言、そして中絶反対を掲げてクリニックのすぐ外で抗議活動を行っていた人たちの話を中心に紹介されている。

Roe判決を破棄したDobbs判決は衝撃的だったけれども、それ以前からもRoeが保障したはずの妊娠中絶の権利はここ数年のあいだ急速に侵食されてきていた。上院共和党の強引な議会運営により任命される連邦判事の右傾化が進むなか、妊娠中絶そのものを合法としたまま、クリニックや患者に対する不合理な規制が次々と成立し、多数のクリニックが閉鎖に追い込まれていくとともに、仕事を休んで遠方のクリニックに行くことのできない患者の多くが妊娠中絶の権利を行使できない状況に置かれた。その結果、残された数少ないクリニックには各地からの患者だけでなく反対派のデモや妨害行為も集中し、銃撃や爆破テロ事件も頻発、あまりの危険や多忙、そして精神的ストレスから医者やスタッフたちの負担も深刻化した。Dobbsによってさらに多くのクリニックが閉鎖されたけれども、それは決して新しい展開ではなく、これまでも続いてきた状況のさらなる加速だ。

そのような状況のなか、患者が爆発的に増えたクリニックではかつてのように個々の患者に対するケアを行う余裕がなくなり、疲れ切ったスタッフが患者をぞんざいに扱ったり、患者が医者やスタッフに十分に話を聞いてもらえない、説明を受けられない状況も深刻化した。また一部では、スタッフや患者にセクハラを行う男性医師に対する告発が「かれを辞めさせたら代わりがいない、セクハラを公にしたらクリニックに対する攻撃が悪化する」という懸念から握りつぶされることも。これらの責任のすべてを中絶反対派に押し付けることはできないけれども、妊娠中絶をめぐる異常な政治的状況がそうした内部の問題を深刻化させたことは確か。

いっぽう主流派フェミニズムでは、妊娠中絶の権利を守るためのリプロダクティヴ・ライツの運動が重視され、生まない権利だけでなく生む権利、そして子どもを安全かつ健康に育てる権利も侵害されてきた黒人女性や障害者などが訴えるリプロダクティヴ・ジャスティスの運動は後回しにされてきた。Dobbs判決のような大きなニュースがあるたびにリプロダクティヴ・ライツ運動の団体は多くの寄付金を集めるけれども、そのお金のほとんどはロビー活動や選挙運動に注ぎ込まれ、実際に中絶の権利が損なわれて困っている女性たちの支援に使われることは少ない。妊娠中絶をするために遠方に出向かなければいけない女性たちへの直接の支援を行っている団体は常に資金不足で苦しんでいる。

著者は、Dobbs判決によるRoe以降の政治運動の敗北は、わたしたちがリプロダクティヴ・ライツからリプロダクティヴ・ジャスティスに運動を転換するためのチャンスだと訴える。リプロダクティヴ・ライツは不十分だと分かっていながら、これまでわたしたちはとっくに形骸化していたRoeを守るために民主党に多額の資金と労力を投入して、そして失敗した。「生まない権利」だけでなく、優生主義や貧困、人種差別などによって「生む権利」や「育てる権利」を含めた広範な権利を守るための社会的変革を訴え、そしてそれらの権利を奪われている人たちに対する直接の支援を行うリプロダクティヴ・ジャスティスの運動の今後に期待したい。