Katey Zeh著「A Complicated Choice: Making Space for Grief and Healing in the Pro-Choice Movement」

A Complicated Choice

Katey Zeh著「A Complicated Choice: Making Space for Grief and Healing in the Pro-Choice Movement

バプティスト教会の牧師にしてリプロダクティヴ・ライツを擁護するプロチョイス活動家の著者が、妊娠中絶を選んだたくさんの人たちにインタビューしてかれらの複雑な経験をまとめた本。紹介されているのは人種や宗教、住んでいる地域がさまざまな人たち17人で、ほとんどが女性だけれどトランス女性をパートナーに持つノンバイナリー自認の人も一人含まれる。

妊娠中絶をめぐるアメリカの議論では近年、反中絶派の人たちが科学的事実に基づかないさまざまな「妊娠中絶による副作用・後遺症」をでっちあげて、中絶は胎児だけでなく女性に対する暴力である、と主張している。数々の疫学的調査によって中絶が身体的・精神的を起こすことは否定されているけれども、それは中絶を選んだ人たちがなんの葛藤や困難を抱えていないということではないし、それらからの癒しを必要としていないわけでもない。そうした当事者たちの経験に耳を傾け、彼女たち、かれらをケアすることは、中絶の法的な権利を守るのと同じくらいリプロダクティヴ・ライツの運動において重要なことだ。

反中絶派の人たちはよく、中絶を選んだ人たちは重大な罪を犯してしまった罪悪感と後悔に苦しむと決めつけるが、実際に当人たちが感じるもっとも一般的な感情は安堵の気持ちだ。それがどのような事情によるものであれ、望まない妊娠を続けることは本人の人生を大きく決定づけてしまうことであることを思えば当然の話。しかし同時に、宗教的に保守的な家庭に育った人やそういったコミュニティに属する人たち、自分だけで妊娠を続けるかどうか決定することができない未成年、ドメスティックバイオレンスや性暴力の結果妊娠した人、住んでいる地域の法律や経済的な理由で妊娠中絶へのアクセスが脅かされている人たちなど、周囲に相談できなかったり、支援を受けられなかったりして孤立して苦しむ人は多い。中絶そのものがトラウマの原因になるのではなくとも、中絶を選んだ、あるいは選ばざるを得なかった状況自体や、それを選んだことで経験したことがトラウマに繋がる例は少なくない。また、全員ではないけれども、中絶の結果失われた「生まれるかもしれなかった子ども」との別れを悲しむ気持ちを抱くことは、その時点で最善の選択として自ら中絶を選択した事実とは一切矛盾しない。その結果、かれらは「社会的に公認されない悲しみ」(disenfranchised grief)を抱えることがある。

本書は中絶がタブー視されているために普段公に語られないこれらの悲しみやそこからの癒しの証言をまとめた貴重な本だ。全体を通して著者は自身がキリスト教徒として、バプティスト教会の牧師としてどう考えるのか、聖書を引用しつつ話を進めるけれども、そこで語られるのはすべての人に向けた親愛とより公正な社会への希望であり、キリスト教徒ではないわたしにも共感できた。リプロダクティヴ・ライツを守り拡充していくためにはこうした語りはもっと広まる必要がある。