Katherine Turk著「The Women of NOW: How Feminists Built an Organization That Transformed America」

The Women of NOW

Katherine Turk著「The Women of NOW: How Feminists Built an Organization That Transformed America

1966年に設立されたアメリカ最大のフェミニスト団体・全米女性機構(NOW)の歴史についての本。なんでいまさら、という気もしながら読んだけれど予想以上におもしろかった。

わたしが大学に入りフェミニズムに出会ったのは1990年代中盤で、その頃にはわたしの世代のフェミニストのあいだではすでにNOWは上の世代の中流階級の白人女性たちのグループでありわりと保守的で視野が狭い、というイメージが強く、積極的に関わろうとは思わなかった。さらにフェミニズムや女性学を学び、実際の運動に関わるなかで、1969年に創始者の一人で初代会長だったベティ・フリーダンがレズビアンたちを「ラヴェンダー・メナス」(ラベンダー色の脅威)にと呼びNOWの指導部から排斥した話や、性暴力やドメスティック・バイオレンス、性売買を警察による取り締まりによって解決しようとするカーセラル・フェミニズム的な傾向について知ったことに加え、部下の女性へのセクハラや性的関係が明らかになったビル・クリントン大統領を擁護するNOWの党派的な姿勢を目の当たりにし、さらに興味を失った。

ところが本書を読むと、NOWははじめから一貫してわたしが知るようなNOWだったわけではもちろんなく、さまざまなゴタゴタや内部対立、右派との戦い、そして成功と失敗を重ねながら変遷を経てきたことが、あらためてよくわかった。「ラヴェンダー・メナス」のような明らかな汚点だけに団体のイメージを代表させて、NOWに期待を寄せて参加した(そして裏切られたと感じ離脱していった)全国の無数の女性たちの思いを消し去ってはいけない。わたしが知らない、というか近年のフェミニズムの書籍のなかでほんの数ページ程度だけ批判的に触れられているようなNOWの歴史についてあらためて学べたことはうれしい。

NOWの初期のドタバタっぷりは、今だから言えることだけど、とにかくおもしろい。最初に全国的な女性の権利のための団体を作ろうと、当時「The Feminie Mystique」のベストセラーで有名だったフリーダンがあるコンファレンスで自分が泊まっていたホテルの部屋に関心ありそうな女性たちを集めたのだけれど、彼女に直接呼ばれていない人も参加してフリーダンの意見に反論したら、フリーダンは「出ていけ」と叫びだし、彼女たちが出ていかなかったので自分がトイレに鍵をかけてこもってしまってその場はお開きになったとか、フリーダンのイメージが変わった。また、初期のNOWでは会費を払う人が一定数集まれば誰でも支部を作ってもいい、という決まりだったので、全国各地にそれぞれ異なる問題意識や主義主張を掲げた支部が乱立、次第にシカゴやピッツバーグなど一部の支部が団体内で派閥のようになった。全国団体としての方針は毎年異なる都市で開かれる総会で決められるのだけれど、その日参加した人がみんな投票できる民主的なシステムだったため、大勢参加できる開催都市の支部が圧倒的有利になり、実質的に開催都市の支部がその一年の全国団体の方針を決めるということに。

すべての女性の共通の課題(と想定される、実質的に白人中流ヘテロ女性の課題)だけに集中するのかそれともレズビアンや黒人女性など多様な女性にとって切実な問題を広く扱うのか、全国共通の戦略を取るのかそれぞれの支部が自由に活動するのか、男性や保守派の支持を得るために過激と受け取られがちな主張を抑えるべきかどうか、政治とどう関わるのか、など、NOWが内部に抱えていたさまざまな論争は、黒人団体やゲイ&レズビアン団体、環境団体など当時ほかのさまざまな社会運動団体が抱えていたそれと同じ。それが大きく変わったのは、1971年にアメリカ議会において男女平等を定める憲法修正条項(ERA)が可決され、成立のために必要な38の州による批准を目指す動きが広まったあたり。

アメリカ憲法には男女平等を定めた条項はなく、黒人の市民権を保証するために作られた憲法修正14条をのちの裁判所が拡大解釈することによって男女平等が憲法によって保証されていることになっているが、最近のアメリカ最高裁では「憲法の条項は当時の意図や意味をもとに解釈すべきだ」とするオリジナリズムの勢力が力を増しており、最高裁による解釈の変更によっては男女平等の原則が撤廃される危険がある。男女平等を明示的に定めるERAは女性参政権の実現に次ぐ目標として第一波フェミニズムによって1920年代に提案されたが実現せず、第二波フェミニズムが勃興した1970年代にふたたび注目を集める。

ERAが議会で可決された当時、民主・共和両党はともにERA支持を打ち出しており、最初の30州はすぐに批准を決めたが、残り8州となったところで女性保守活動家フィリス・シュラフリーが率いる反対運動が活発となり、批准のペースは一気に落ちたほか、すでに批准を決めた一部の州は批准を取り消す決議を行った(この「取り消し」が法的に可能かどうかには疑いがある)。女性が必要なのは男性による保護であって平等ではない、ERAは女性を過酷な労働や義務から保護するためのさまざまな法律を違憲にしてしまう、という主張は女性を馬鹿にしたもののようにも思えたが、若い男性たちが大勢徴兵されヴェトナムに送り込まれている状況において「女性を徴兵しても良いのか」という議論は有効だった。もちろんその裏には、女性の賃金を安く据え置くなど男女差別によって利益を得ていた企業による資金提供があった。

それに対しNOWでは1977年に会長となったエリナー・スミールがERA実現をテーマとしたダイレクトメールによる集金のシステムを構築、ERAこそすべての女性の悲願であるとして寄付を募る作戦は大当たりし、NOWの年間予算は何倍にも膨れ上がった。と同時にダイレクトメール経由でNOWに入会した人たちは地元の女性運動や支部との繋がりを持たず、またかれらが支払う会費や寄付金は支部ではなく直接全国組織に入るので、人員的にも資金的にも支部は力を失い、全国組織からの資金の割り当てに依存するようになる。スミールはERAはほかのすべてに優先するという立場を取り、レズビアンや黒人女性の権利、労働者の権利などが後回しにされた結果、それまで時には内部から批判をしつつもNOWを支えていた多くの活動家たちが脱退していった。また他のフェミニスト団体より資金力で圧倒的に優位に立ったNOWは、自分たちが一番お金を出しているのだからとほかの団体と対等な立場で協力することを拒むようになった。

最終的にERAは35州の批准に終わりあと少しというところで実現しなかったが、ダイレクトメールを通してシングルイッシューを訴えることで資金を集められることを学んだNOWはその後、ERAに替えて妊娠中絶の権利を中心的なテーマとすることで活動を続けていく。また1984年の大統領選挙では政治にも積極的に関与、最も女性の権利擁護に熱心で副大統領候補に女性を指名することを確約した黒人公民権活動家ジェシー・ジャクソンではなく、中道リベラル派のウォルター・モンデールを応援し、民主党の大統領候補指名を獲得したモンデールに結果的に(ジャクソンにり期待値が上げられた結果)初の女性副大統領候補ジェラルディン・フェラーロを選ばせることに成功したが、モンデールとフェラーロはジャクソンと比べ女性の権利に熱心ではなく、むしろ女性候補であることから意識を逸らさせようとする戦略を取った。現在に続く、NOWと民主党主流派との結びつきと、政策的な一致より権力者と近づくことを求める傾向はここから始まっている。

というわけで、わたしや同世代以降のフェミニストたちがずっと思っているNOWへの印象は間違っていなかったわけだけど、そこにたどり着くようになった経緯は一直線ではなかったし、「ラヴェンダー・メナス」から直接繋がっているかのような表面的な理解はNOWをより良くするために内部で戦ってきた多くのフェミニストたちの思いを無にすることになると思った。しかしあの退屈そうなNOWの歴史をこんなに面白く書ける著者はすごい。