William A. Darity, Jr. et al.編「The Black Reparations Project: A Handbook for Racial Justice」

The Black Reparations Project

William A. Darity, Jr., A. Kirsten Mullen, & Lucas Hubbard編「The Black Reparations Project: A Handbook for Racial Justice

奴隷制度及びその廃止後も続いた黒人に対する制度的な人権侵害に対する賠償の議論が広がるなか、具体的にどのような被害があったのか、その被害額はどう算出されるべきか、それを受け取る資格があるのは誰か、どのように実施されるべきかなどを、歴史学や経済学の専門家などが集まりそれぞれの分野から論じる本。

奴隷制に対する賠償請求の運動は、南北戦争の際に解放奴隷たちに約束された土地の分配が反故にされていらいずっと続いてきたけれど、タナハシ・コーツの2014年のエッセイ「The Case for Reparations」が注目を集めたことで議論が再燃、2020年のブラック・ライヴズ・マター運動の盛り上がりを経て、2021年にはこれまで毎年提案されながらろくに議論も採決もされてこなかった、奴隷制に対する賠償について審議会を作り議論をはじめる法案が下院の委員会を通過した。またイリノイ州エヴァンストンでは市の差別的な住居政策によって被害を受けた黒人やその子孫に対する住宅購入支援を導入されたり、カリフォルニア州では賠償について議論するための審議会が実際に結成されるなど、地方での議論も進んでいる。

そういうなか本書では、賠償についての議論が動き出した現在だからこそ、その前提となる基本的な認識を共有し、その目標を提示するために専門家たちが結集。たとえば奴隷とされた黒人たちが受けた被害額を算出するのに、単純に当時の典型的な労働者の賃金をもとに「支払われなかった賃金」として扱うのは、当人たちが人間性とそれに付随する自由を否定され労働時間だけでなく一日24時間、人生のすべてを拘束されたことや、そもそも当時の労働者の賃金自体が差別や奴隷制の存在によって不自然に低く抑えられていたことを考えると不十分だが、考えられる賠償額の下限として具体的な数字を出すことには意味がある。それをもとに失われた自由や切り離された家族の絆、教育や医療を受ける機会の損失などをほかの人権侵害の例などから追加し、また当時から現在までの利息もほかの資産価値の平均的な上昇率などをもとに計算することができる。

また賠償を受ける資格があるのは誰かという問いには、奴隷制やその後の人種隔離制度、労働者保護や社会保障制度からの黒人の排除、住居政策を通しての資産の没収とさまざまな差別など、奴隷とされていた人に限らず全ての黒人、そしてその他の非白人も含めた人たちの多くが奴隷制度に起源がある差別の被害を受けたのは事実だけれど、人間としてではなく財産としてアメリカに連れてこられ他人に保有されていた人たちの経験は特有だとして、過去に奴隷とされていた人を先祖に持ち、少なくとも過去12年以上に渡って黒人であると自己認識していたことが確認できる人たちに限っている。自分の先祖が奴隷とされていたかどうかどのように確認するかについては、その手法やどの程度の基準で証明を求めるのが合理的であるかといった議論も本書に含まれる。

本書の最後では、近年各地で議論が進んでいるさまざまな賠償に関する議論について取り上げ、それらの多くがはじめから政治的妥協の産物として登場しており公正な解決に繋がらないことに警告する。たとえばエヴァンストン市やカリフォルニア州が独自に進めている議論では賠償の対象となる範囲がごく限られており、一部の個人の救済となっても黒人コミュニティ全体に影響を与えるにはまったく及ばないことが指摘される。そもそも財源が限られた自治体ではその中に住む黒人たちの正当な賠償請求に応えることは不可能で、それが可能なのは連邦政府をおいて他にないのだが、連邦議会に毎年提出されている賠償の議論をはじめるための法案(H.R.40)も同じく政治的配慮に基づいていて不十分。政治的配慮したおかげで成立するなら妥協としてありえなくないけれど、はじめから妥協の産物では困る。

著者らは考えられる正当な賠償の規模の上限と下限を算出したうえで、どのようなものであれ賠償はアメリカにおける白人と黒人の経済格差を解消する規模でなければいけない、とする。もともと白人と黒人のあいだの経済格差は、黒人の労働を白人が搾取して築き、さまざまな形で政府が白人を優遇したり資産を分け与えた結果生まれたものなので、それが対等になる程度ではまだまだ不十分だという考え方もできるが、奴隷制以来続いてきた人種差別の歴史を精算して新たな時代を築くために必要な妥協。賠償について重要なのは、それが歴史的事実に基づいて公正な範囲の金額であるだけでなく、それが白人と黒人のあいだの経済格差を解消するという確固とした目標に沿って実施されるべきだというのが著者らの意見。実際、こうした考えに基づき、コリ・ブッシュ下院議員はH.R.40に対するオルタナティヴとして白人と黒人の経済格差を解消するための約2000兆円の賠償を行う法案(H.R.414)を提出している。

このような規模の賠償は財政的に不可能ではないかという意見もあるだろうが、奴隷制をめぐる賠償のために国家が巨額の借金を背負い長年をかけて支払いをした前例は過去にある。ただしそれは奴隷とされた人たちやその子孫に対する賠償ではなく、奴隷制度廃止によって財産を失った白人たちに対する賠償だ。たとえば19世紀に植民地における奴隷制度を廃止した大英帝国は奴隷所有者たちに対する賠償を行い、そのために作った借金を180年以上かけて2015年まで返済し続けた。また同じく19世紀に奴隷たちの一斉蜂起によりフランスからの独立を勝ち取ったハイチは、独立を認める条件として奴隷所有者たちに対する賠償を受け入れさせられ、そのためハイチは1947年まで100年以上ものあいだ借金の返済を続けた(この賠償はフランスからハイチに返還されるべきだという議論が近年高まっている)。アメリカでも南北戦争より前に首都ワシントンDC域内で奴隷制度が廃止された際、奴隷一人あたりの賠償額が奴隷所有者たちに支払われた。

学者らによる本だからかブラック・ライヴズ・マター運動の前線に立っている活動家たちに少し冷笑的・懐疑的なスタンスが少し気になったけれども、奴隷制に対する賠償についてきちんとした議論をするには前提とされるべき本。政治的パフォーマンスとして漠然と「賠償を支持する」と示していればいいフェーズはもう終わり、これからはどのような具体的な被害についてどれだけの賠償が必要なのか、それはどう実施されるべきなのか、きちんと論じていかなくてはいけない。