Stephanie Kiser著「Wanted: Toddler’s Personal Assistant: How Nannying for the 1% Taught Me about the Myths of Equality, Motherhood, and Upward Mobility in America」
リベラルを毛嫌いする貧しい白人家庭で育った著者が、大学卒業後テレビライターを目指してニューヨークに引っ越すも、学生ローンの返済と高い生活費、クリエイティヴ産業の安い賃金に悩まされ、マンハッタンの富裕層の家庭に雇われるナニー(主に仕事や趣味に忙しい母親に代わって子育てをする仕事)として働いた経験について綴った本。
著者の生い立ちと、ナニーとして目撃した子どもたちの甘やかされぶりややたらと充実した環境に困惑する日常を交互に語りながら、子どもたちとの間に絆を感じ大切に思っていく著者。雇い主のなかには優しく人間的に接してくれる人もいればモノのように扱う人もおり、当然のことながら後者の家庭の子どもたちは著者を見下して命令したりわざと困らせようとするクソガキも多い。一番やばいと思ったのは、著者にほかよりも高給と2年後のボーナスを約束しながら、17歳になる反抗的でセクハラ常習犯の高校生の息子の生活を朝から15分単位でスケジュール通りに管理して夜決まった時間に寝かせつけたあとに自分に報告しろと言ってきた金持ち男性。セクハラはあかんけど、そりゃ反抗するわ!著者は「絶対ボーナスが与えられる2年続かないだろ」と考えオファーを断ろうとするも、その前に男性の側から「あなたは相性が悪そうだ」としてオファーが取り消された。
ナニーは仕事の保障もなくいつ解雇されるかわからないし、健康保険などの保護も受けられないけど、著者がわりと簡単に富裕層家庭のナニーの仕事にありつけたのは、彼女が白人で大卒者であることと関係がありそう。Elizabeth Cummins Muñoz著「Mothercoin: The Stories of Immigrant Nannies」でも書かれていたように、一般にナニーとして働くのは非白人の移民女性が多い。しかし(白人)富裕層のあいだでは、赤ちゃんの世話をするのは非白人の移民女性で良くても、一定以上の年齢になったら子どもたちにいい影響を与えそうな教育程度の高い白人を雇いたいと願うようになることが多く、需要と供給の関係から大卒の白人女性は比較的厚遇される。といっても生活は不安定であり、なおかつ拘束時間が長時間に及ぶため、著者が本来望んでいた仕事に向けて動きだす余裕はない。数年は富裕層専門のナニーとして働いてお金をためて、そのあとで望んでいたキャリアを目指す、というのは当然著者も考えるけれど、そう簡単でもない。富裕層の家庭で働く者として、そして時にはかれらと一緒に外出することもある立場として、みすぼらしい格好はできないということで、せっかくの給料を本来なら買わなかったファッションブランドに費やしたりも。
クリエイティヴ産業やエンターテインメント産業の初任給が低いのは、それらが人気の業界であり、十分な給料をもらえなくても、なんなら無償で働いてでも、ひとまず業界に食い込みたいと考える若い人が多いから。かれらにそれができるのは多くの場合、大学の学費を親に払ってもらっていて学生ローンの支払いに追われることはなく、またいざとなれば生活費の支援を受けられるといった経済的な余裕があるから。Nate Silver著「On the Edge: The Art of Risking Everything」のように若い人は積極的にリスクを取って挑戦すべきだという議論は昔からあるが、それができるのは世代間で蓄積された経済的な余裕がある人だけで、それ以外の人たちは日々の生活のための労働に追われる。
いまのアメリカにおいて、ごく一部の大金持ちと一般の人たちや貧しい人たちの生活圏は分断されていて、お互いに相手がどういう生活をしているか知り得ないようになってしまっているけれど、それでも裕福な人たちが自分たちの家庭や豪邸のなかで働く労働力を必要としている限り、分断の壁には小さな穴がある。本書はその穴を通して著者が富裕層の生活、とくにかれらの子育てや子どもたちの生育環境を目撃して、そこで感じた自分の生い立ちとの大きな隔たりについて書かれている。ナニーを辞めた著者は本書の出版により本来とは異なるもののクリエイティヴ産業の入口に立っており、彼女の今後を応援したい。
あとこれは本筋ではないけれど、著者はリベラルを毛嫌いする家庭で育ち、政治について深く考えずに共和党を支持していたけれど、あるきっかけを経てリベラルに転向し、家族からは「だからニューヨークなんかに行かすんじゃなかった」と憤慨される。しかし著者は、トランプを支持する著者の家族が、「あいつらリベラルは金持ちから税金をむしり取って貧しい奴らに分け与えようとしている」と非難しているのを聞いて「なにそれ?」と妥当な疑問を抱く。自分たちが金持ちじゃなくて貧しい側だという自覚がないのか、と著者は書いているけど、それは金持ちとか貧しいじゃなくて「白人からお金を取って黒人に与えようとしている」と言いたいのが本音でしょ。てかニューヨーク云々も、昔からよくある反ユダヤ主義だと思うんだけど。