Serene Khader著「Faux Feminism: Why We Fall for White Feminism and How We Can Stop」
フェミニスト哲学者による白人フェミニズム批判の本。タイトルでは「似非フェミニズム (faux feminism)」という言葉が使われているけれど本文中ではその用語は使われず「白人フェミニズム」や「自由フェミニズム」という言葉が使われているので、タイトルは編集者が付けたもののような気がする。
白人フェミニズムとは白人女性によるフェミニズムという意味ではなく、白人中心主義に基づいたフェミニズムのことだけれども、ブラックフェミニズムやインターセクショナルなフェミニズムの立場からの白人フェミニズムに対する批判としては、本書でも参照されているRafia Zakaria著「Against White Feminism」はじめ、Kyla Schuller著「The Trouble with White Women: A Counterhistory of Feminism」やKoa Beck著「White Feminism: From the Suffragettes to Influencers and Who They Leave Behind」など既にたくさんの本が出ている。
その中で本書に特徴的なのは、著者が批判するタイプのフェミニズムに対して「自由フェミニズム (freedom feminism)」という新たな名付けを行い、それがどのように多くの女性たちを置き去りにしているか告発している点。著者の言うところの自由フェミニズムとは、女性が文化的な制約から自由に生きることを中心的な目標に掲げるフェミニズムという意味であり、個々の女性の社会的成功や自己実現が手放しに称賛されほかの女性の手本とされ、女性が自己決定権を行使する限りにおいてその決定の内容には踏み込もうとしない立場。ふつうそれはリベラルフェミニズムと呼ぶのでは?と思うのだけれど、著者は自由フェミニズムが既存の社会的・権力的階層に女性を組み込むことに集中するあまりそうした階層構造自体を疑わないことや、文化的制約を標的とすることで非欧米文化に対する啓蒙主義的な植民地主義を再生産していること、一部の女性がほかの女性を踏み台にしてのし上がろうとすることへの批判を押し留めていることなどを指摘する。
内容的に異論があるというわけではないのだけれど、すでにリベラルフェミニズムや白人フェミニズムという言葉があるのにわざわざ「自由フェミニズム」とか「似非フェミニズム」(これは編集者のせいかもしれないけど)という言葉を当てはめる理由がよく分からない。哲学者は既知の現象や概念に新しい名前を付けないといけない、という約束事でもあるんだろうか。