Phyllis E. Greenberger著「Sex Cells: The Fight to Overcome Bias and Discrimination in Women’s Healthcare」

Sex Cells

Phyllis E. Greenberger著「Sex Cells: The Fight to Overcome Bias and Discrimination in Women’s Healthcare

四半世紀にわたって女性の健康と医療に関する研究を推進してきた著者が医療のあらゆる分野の実例を挙げながら性差医療の重要性を訴える本。

著者はソーシャルワークの学位を取り、アメリカ精神医学会のロビイストとして精神医療について政府とやり取りする立場からキャリアをスタートさせる。そういうなか、これまでの医学や薬学の研究のほとんどが男性だけを対象としており、女性が被験者となるような研究はナネット・ウェンガー医師が「ビキニ医療」と呼ぶ、女性の胸と生殖器に関するものだけであることに気づいた著者は、同じことに危機感を抱いたほかの女性たちと協力し、またアメリカ精神医学会のコネと製薬会社からの寄付にも助けられ、性差医療についての研究、とくに女性の健康に関するそれを推進する団体を設立し、それを長年率いた。2000年の大統領選挙ではゴア副大統領の医療政策立案にも関わり、ローザ・デローロ元下院議員やパット・シュローダー元下院議員ら一昔前のなつかしい名前からヒラリー・クリントン元上院議員やナンシー・ペロシ下院議員までたくさんの女性政治家たちの活躍話も。

医学や政治の中枢で女性の健康を守るために戦ってきた著者の話はとても興味深く、女性の政治家が力を持つとこんなことができるんだという実感も感じられるけれど、いっぽう草の根女性運動との関わりはあまりない。たとえば1970年いらい女性の健康についてのガイド本を発行してきたボストン女性健康コレクティヴや、AIDSの診断基準が男性に多い症状を元にしていたために女性の診断が遅れていたことに抗議して1990年にアトランタのアメリカ疾病予防管理センターをAIDS活動家らが包囲して基準を変更させた件など、女性の健康の歴史において重要なことが本書では触れられておらず、医者や研究者、製薬会社、政治家たちが自分たちだけで問題に立ち向かったような印象を与える。

また、本書では最初にセックスとジェンダーの区別(本書では、セックスは性染色体に基づく典型的な男女の身体的差異であり、ジェンダーは本人のアイデンティティや表現、社会的役割や他者の視線などのこと、と簡単に定義される)を力説し、本書で取り上げられていることの多くはセックスに基づく差異だがジェンダーに基づく差異も存在しており性差医療では両方について配慮する必要があるとしている。それはいいのだけど、最初のうちはセックスにおける男女をmale/female、ジェンダーにおける男女をmen/womenと区別して使い、きちんと区別しない医学論文などを批判するのだけれど、しだいに区別が曖昧になり、「妊娠するのはwomenだけだ」とか本人が最初に言っていたのとは違う話になってきてしまっている。トランス女性はシス男性に比べて乳がんのリスクが数十倍である、というのをセックスで説明するのかジェンダーで説明するのかなど区別が難しい例もあるけれど、だったらそんなにきちんと区別しない他の研究者を批判しなくても、とは思う。

あと、著者はある国際LGBT団体からの引用として、主要な性自認(gender identity)には次のものがあるとして、「agender, cisgender, demigender, gender questioning, gender fluid, genderqueer, intergender, multigender, nonbinary, pangender, transgender/trans, gender neutral, femme, butch/masc and boi/boy/tomboy」と書いているが、ふつう性自認といえば男性と女性が最も主要であり、ノンバイナリーやその他のジェンダーがそれに続くと思うのだけれど、どういうことだと思ってソースとされている団体のサイトを探してもこうした記述は見つからない(とりあえず珍し目なintergenderとかboi/boy/tomboyという表現を検索したけど結果はゼロだった)。トランスやノンバイナリーに配慮しようとしつつ、どうすれば良いのか本人が混乱しているように思えるのだけれど、周囲に助けてくれる人はいなかったんだろうか。

セックスやジェンダーだけでなく、人種やその他の生物学的・社会的属性においても医学研究から排除されている人たちがたくさんいるし、研究にサンプルとして含まれていても結果をそれらの属性で分けて分析していなかったり、分析できるだけの数が含まれていないことも多く、それらについても一応触れている。「ビキニ医療」は男性と女性は胸と生殖器を除くと同じであるという前提によるものだけど、実際には体全体において疾患の生じ方や有効な治療法にさまざまな性差があるし、同じ女性でも人種や性的指向によって異なる部分も多い。トランス女性やトランス男性を単純に「脳の作りが違うだけでそれ以外の身体は生まれついた身体的性別と同じ」と信じる根拠もないし、トランスやノンバイナリーとして社会を生きるなかで異なる経験や社会的扱いは蓄積され身体化されている。ちょっと残念な部分もあったけど、性差医療とともにそれらの差異についても研究が必要なことが分かるし、これまで知らなかったことをいくつも学んだ。