Norma Dunning著「Kinauvit?: What’s Your Name? The Eskimo Disc System and a Daughter’s Search for her Grandmother」

Kinauvit?

Norma Dunning著「Kinauvit?: What’s Your Name? The Eskimo Disc System and a Daughter’s Search for her Grandmother

カナダ北部の先住民イヌイット出身の研究者にして母である著者が、1993年にカナダとイヌイットのあいだに結ばれたヌナヴト協定に基づいて息子とともにイヌイットとして登録しようとしたことをきっかけに、忘れられつつある「エスキモー・ディスク」の存在を思い出し、先祖について調べるとともにほかのイヌイットに取材してかれらの経験を記した本。

著者は子どものころ、周囲の白人の子どもたちから「お前、何者だよ?」と聞かれて母親に質問するも、「あなたはケベック生まれで、見た目が違うのはフランス系だからだ」と教えられ、それ以上質問することができなかった経験を持つ。大人になるうちに自分がイヌイットであることを知ったけれども、自身が親になり、自分の子どもには自分自身が誰なのか知らないまま育つ経験をさせてはならないと思い、ヌナヴト協定に基づいてイヌイットとして公式に登録しようと思い立つ。彼女が登録を行う事務所に電話して事情を説明したところ、最初に聞かれたのは「あなたのディスク番号は?」という質問。知らないと言うと、「ではあなたのお母さんのディスク番号は?」。

エスキモー・ディスクはカナダ政府が1940年代から1970年代にかけてイヌイットだけを対象として運用していた識別システムで、カナダの領域に住むイヌイットの人たちにそれぞれ番号を割り当て、穴の開いたディスクに紐を通して首か腕に掛けるよう指示していたもの。イヌイットの伝統的な名前は白人には難しく、一貫した英字アルファベットでの表記方法もないため、名前ではなく番号によってかれらを管理しようと作られたものだ。一部の人は与えられたディスクを身に着けずすぐに捨ててしまったりしたものの、医療を受けたり子どもを学校に通わせたり買い物をするのに必要となったため多くの人は自分に与えられた番号を暗記した。ヨーロッパではナチスドイツがユダヤ人に識別マークを身につけるよう義務付けたり、識別番号の入れ墨を入れていた同じ時期に、それに対抗していたはずのカナダ政府は自国の先住民をまるで飼い犬か家畜にタグを付けるような扱いをしていた。

著者はもちろんエスキモー・ディスクが制度として存在していたことは知っていたけれども、それは自分が幼いころに廃止されたものだと思っていたので、イヌイットとして登録しようとして自分のディスク番号を聞かれて戸惑うとともに、それが過去の事ではなく、実際にディスクを身に着けさせられた世代のみならずその子や孫の世代にまでいまも影響を与えているのだと実感し、登録のために必要な情報を集めるために自分の母や祖父母について調べると同時に、エスキモー・ディスクがどうして導入されたのか、イヌイットの人たちはそれをどう思ったのか、そしてどのようにして廃止されていったのか、調査をはじめる。それはイヌイットとメティ、ファーストネーションズと呼ばれるカナダ南部の先住民に対する政策とそれに対する抵抗の歴史を紐解くことだった。

歴史上、宗主国のイギリスやそれを引き継いだカナダ政府は極寒であり人口も少ない北極海岸地域にはそれほど興味を示さず、したがってイヌイットに対する施策はファーストネーションズの人たちに対する施策よりかなり遅れていた。イヌイットの人たちに最初に直接関わった白人はロシアやその他の国から来た毛皮商人たちだったが、第二次世界大戦中にドイツがソ連に侵攻するとカナダ北部が前線となる可能性から、カナダ政府は北極海岸の統治に意欲を出す。その結果、カナダ南部ではすでに廃止の方向に向かっていたファーストネーションズに対する同化政策や寄宿学校制度がイヌイットに対して開始され、エスキモー・ディスクによる人口管理もその一環だった。しかしそれらはファーストネーションズに対する政策の多くがそのままイヌイットに対して適用されたものであり、たとえばファーストネーションズの人たちが狩猟の対象としていたバイソンの絵が描かれたエスキモー・ディスクのデザインがあるが、イヌイットの土地にはバイソンは住んでいないし、カナダ政府の文書にはイヌイット各部族の酋長がどうという記述があるがイヌイットには酋長は存在しない。

イヌイットの人たちとの議論や交渉もなくいきなりはじまったエスキモー・ディスクが終了したのにも、イヌイットの人たちとの議論や交渉は関係なかった。カナダ政府は伝統的に名字を持たず独自の名前を持っていたイヌイットの人たちにヨーロッパ人風の名前を付けさせる政策を実施し、ディスクを使わずともイヌイットの人口を管理する方策を作った一方で、はっきりとした言明もないままディスクを廃れさせていった。ディスクがなければ不便だと思い込んだイヌイットの人が「ディスクを紛失したので再発行してほしい」と訴えたところ、それは何年も前に廃止されましたよ、と教えられる状態。いつの間にか終わってしまったため、それがイヌイットの人たちの尊厳を傷つける行為であったという認定も、それに対する謝罪もないまま、イヌイットの人たちに動物のように管理された経験だけが残された。

近年、ヌナヴト協定によるヌナヴト準州の設置に続き、ケベックのヌナヴィク地区やニューファウンドランド・ラブラドール州のヌナツィアヴト地区におけるイヌイットの自治権獲得運動がさかんになっているが、そのなかで過去のカナダ政府による政策の検証と歴史的和解は必要になりそう。わたしにとっては北米先住民の歴史のなかでもあまり知らない部分だったがとても分かりやすい文面だったのでよく理解できた。ちなみに著者は自分に与えられていたであろうディスク番号こそ分からなかったものの、祖母がイヌイットであったことを証明して息子ともども登録することができた。