Michael Gibson著「Paper Belt on Fire: How Renegade Investors Sparked a Revolt Against the University」

Paper Belt on Fire

Michael Gibson著「Paper Belt on Fire: How Renegade Investors Sparked a Revolt Against the University

20歳未満の若い才能に大学に進学しない・大学を中退することを条件に10万ドルの資金を与えて起業させるティール・フェローシップのマネージャーとして数々のベンチャー創業に関与し、そこから独立してそうしたベンチャーに投資するファンドを設立した著者の自叙伝にしてマニフェスト。

著者はイーロン・マスクと並ぶペイパル・マフィアの大ボスでありトランプ政権誕生にも一役買ったピーター・ティールに心酔し、とくにティールが主張する「イノベーションの鈍化」に対する危機感を共有する。かれらによると、1970年代以降、科学や技術だけでなく芸術や哲学も含めたあらゆる知のイノベーションは失速しており、このままでは人類は積み重なるさまざまな問題を解決できず衰退を辿るという。そしてその原因の一つは、才能ある若者が頭脳がピークの状態にある20代から30代にかけて大学や大学院で下積みをさせられているせいで、それなりの資金と権限を得て自由にイノベーションができるようになるころには既にピークを過ぎてしまっていることにある、とかれらは主張する。著者がビル・ゲイツにこの話をすると「お前たちはブルシットだ」と全面否定されたらしく、最近は慈善家として温厚にふるまっているゲイツをそれだけ怒らせる著者はすごいなと思うけど、まあまったく的外れとは言えない気はする。

著者は自分たちを、かつて「95か条の論題」を提示してカトリック教会による免罪符の販売を批判したマルティン・ルターになぞらえる。かつての教会が権威を濫用し死後の断罪により信者を脅して免罪符という紙を販売したのと同様、いまの社会において大学は自らの権威を濫用し「高卒だと一生貧しい生活をすることになるぞ」と脅して卒業証書を販売している。大学教育の価値は卒業証書ではなくその学びや経験そのものにある、と大学教育関係者は主張するが、かれらはそうした価値が本当にあるのか実証しようとはしない。それによって大学は若い人たちの人生のピークを拘束し、結果としてイノベーションを阻害している、というのが著者の主張。

ティール・フェローシップは才能のある若い人たちをそうした拘束から解放し、若いうちに十分な資金をもとに起業することを支援しており、支援を受けた若者のなかには実際に事業を成功させ大金を手にした人も何人もいる。しかし著者、イーサリアムの創設者ヴィタリック・ブテリンをフェローに選出しイーサリム立ち上げに関わったのに、ほんの100ドルも投資しなかったの、見る目があるのかないのか分からん。しかしもちろん、大学に行くのを断念して事業に注力するというのは、誰にでも取れる選択肢ではない。たとえば著者も親族ではじめて大学に行く機会を得た移民家庭の子どもが親の期待にどうしても抗えずにフェローを辞退した例などに触れている。また、才能と可能性のある若者をどう見分けるのかという疑問に対して著者は、定式化することはできないけれどもティールのように多数の創業者とその行く末を見てきた投資家はその若者を見ればわかる、これはニューラルネットワークによって学習させた人工知能と同じだ、と言うけれども、どう考えても学習の元となったデータに現実社会のバイアスが反映されているし、ティールの頭が人工知能よりフェアだとも思えない。

政治的な部分では、著者はかつてはイノベーションの中心地だったサンフランシスコ・ベイエリアを民主党の政治家たちが犯罪とホームレスが溢れた破綻都市にしてしまったとして、テクノロジー企業が極端な貧富の差をもたらしジェントリフィケーションを起こしたという意見を否定して、大学の卒業証書の権威に頼ったリベラルエリートを批判。かつてサンフランシスコはあの偉大なゴールデンゲートブリッジをほんの数年で作ったというのにいまは簡単な建物を建てるのにも規制が多すぎて何十年もかかる、という話をするけど、そのゴールデンゲートブリッジが権利を奪われた中国人労働者たちの酷使によって作られたことには触れない。

さらに著者は、ソーシャルメディアでは保守の意見が検閲されている、とも。また恩師ピーター・ティールについての伝記であるMax Chafkin著「The Contrarian: Peter Thiel and Silicon Valley’s Pursuit of Power」やフェイスブックの設立について描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」を「嘘だらけだ」と決めつけるなど、ティールの口真似がくどい。グレタ・トゥーンベリ氏を批判するのは構わないのだけれど、わざわざ彼女のことを「リトル・グレタ」とからかうような書き方は差別的でよくない。

巻末ではエネルギーや医療などさまざまな分野においてどのような先進的なイノベーションが行われているのか紹介しているが、そこで再三繰り返されるのは、それらのイノベーションは人類がいまよりも発展して裕福な暮らしをするために必要だということ。いま貧困や病気で苦しんでいる人たちを救うためではなく、もうすでに豊かな暮らしをしている人たちがさらに年々ますます豊かな暮らしを追求すべきだ、という考え方は、イーロン・マスクやジェフ・ベゾスが「宇宙に進出するしかない」という結論を導き出したのと同じ前提を自明視している。イノベーションを促すために硬直化した大学の権威を疑うべきだとか、中央集権は多様な実験を阻害するといった興味深い指摘もあるのだけれど、視野が狭く感じた。