Justice Malala著「The Plot to Save South Africa: The Week Mandela Averted Civil War and Forged a New Nation」

The Plot to Save South Africa

Justice Malala著「The Plot to Save South Africa: The Week Mandela Averted Civil War and Forged a New Nation

いまから30年前の1993年4月、フレデリック・デクラーク大統領率いる南アフリカ共和国最後の白人政権が全国民が参加する民主選挙の実施に向けてネルソン・マンデラのアフリカ国民会議など国内各勢力との交渉を続けるなか、マンデラの次に人々の人気を集めていた反アパルトヘイトの闘士クリス・ハニが白人至上主義者によって暗殺された。交渉の決裂と人種間戦争勃発の危険が迫るなか、マンデラをはじめとするアフリカ国民会議の指導者たちが次の政権を担当するに足るリーダーシップを見せつけ国を救ったドキュメント。

クリス・ハニはマンデラより数十年若いアフリカ国民会議の指導者で、マンデラが政府によって投獄されているあいだにソ連で軍事訓練を受け、国外からアパルトヘイト政権に対する武装闘争を指揮していた。黒人たちからはマンデラの次に多くの支持を集め、アフリカ国民会議内の武闘派がマンデラの和平路線に協力したのは、かれがマンデラを支えていたからという理由が大きかった。しかし初の民主選挙の実施をめぐる交渉が長引くなか、白人至上主義者によってハニは暗殺されてしまう。民主選挙が実施されるとアフリカ国民会議が政権を取ることが予想されており、そうなる前に白人が政権を握っているうちに人種間戦争を起こして民主選挙を妨害するのがその目的だと思われたが、過去にも多くの同士を殺されてきた黒人たちは「やはり和解は嘘だった、政府がハニの殺害に関係しているに違いない」と考え、反政府デモなどを起こす。

デモの大部分は平和的だったが一部では暴動が起こり、また白人警官たちが市民に対して無差別に発砲する事件も起きた。自分が黒人たちに対して何を訴えてもなんの説得力も持たないことを痛感していたデクラーク大統領はマンデラに対して「お前たちの支持者を押さえつけろ」と要求する一方、保守派の側近の言いなりに警察による鎮圧を強化するなどして人々を逆撫でする。デクラークは抗議デモや追悼集会を行わないよう求めたが、マンデラはそれに反発してデモや集会への参加を呼びかける一方、ハニ殺害を警察に通報して犯人逮捕に協力したのが白人女性であったことなどを語り、次の政権を担う立場として責任ある行動を取るよう人々に呼びかけた。当時デクラークは現職大統領であり、マンデラは何の公的地位もない野党指導者だったが、政権交代を前にしてマンデラが南アフリカの指導者としてデクラークから立場を奪ったのはこの瞬間だった。てか思ってたよりデクラーク駄目じゃん…

デモや集会はその後一週間に渡って全国各地で繰り広げられ、なかには衝突や事故も生じて多くの人が怪我をしたり亡くなったりしたが、マンデラはとにかく人々が怒りや不満を一旦表明し尽くし、そのうえで民主選挙による政権奪還という目標に向けて一致団結できるように人々を導いた。衝突による犠牲者が出ても慌てず、犠牲を限定しつつ世論のガス抜きを終わらせるとともに、その怒りを利用してデクラークに対して選挙の日程を決めるよう圧力をかけるなど、マンデラやかれの周囲にいた人たちの戦略が成功し、南アフリカはついに分裂することなく、民主選挙によってマンデラが大統領に就任した。

自分たちが少数派に転落するという恐怖から人種対立を加速させようとするアクセラレーショニズム動きは現在のアメリカにも共通していて、かれらによる暴力的な事件も頻発している。それに対して怒りや不満を表現するブラック・ライヴズ・マターの運動を暴力的だとか非建設的だと攻撃して黙らせようとする白人指導者たちの存在も共通。そういう状況で、マンデラのような稀有な指導者がいなくとも、どのようにして白人至上主義者たちが期待する人種間戦争に引き込まれず、しかし正当な怒りや不満を表明していくのか、そして衝突による被害を限定して交渉で有利に立つのか、考えさせられた。