Jonathan Tarleton著「Homes for Living: The Fight for Social Housing and a New American Commons」

Homes for Living

Jonathan Tarleton著「Homes for Living: The Fight for Social Housing and a New American Commons

ニューヨークのブルックリンとマンハッタンに設置された二つのソーシャル・ハウジング(社会住宅)の私有化をめぐる論争を追う本。ソーシャル・ハウジングについてもっと知りたいと思って読み始めたけれど、それどころではないすごい内容だった。

ソーシャル・ハウジングは住居不足が深刻化するアメリカ各地で注目されている施策の一つで、わたしが住むシアトルでも去年住民投票を求める署名が提出され、反対する市議らによる抵抗を受けながらも2月の特別選挙で導入が決まっている、地方政府が所有もしくは資金援助する非営利の住宅で、不動産価値上昇による転売利益や必要性のない家賃上昇を求めないかわりに恒久的に適正な家賃で住める家を提供するためのもの。ウィーンでは住民の半分近くがソーシャル・ハウジングに居住しているなど世界的な成功例も多く、貧しい人だけを狭い地域に押し込めて犯罪の巣窟として放置する結果となった過去のアメリカの公共住宅とは異なる形で期待を集めている。

本書が対象とするニューヨークの二箇所のソーシャル・ハウジングは、政府による低金利の融資によって誕生した協同組合がそれぞれ運営する住宅。入居希望者は組合の権利の一部を決められた額で購入して組合員になることで入居でき、退去する際には決められた額で決められた相手に売却する。実際には入居したくても空きがないことが多いので多数の希望者が順番を待っているが、お金の力で列に割り込むことはできず、家族のあいだであれば譲り渡すことも可能。そうすることで不動産市場の動向に影響されず恒久的に適正な家賃で住める住宅を維持することが意図されていたが、実際に周辺の土地の値段が何倍、何十倍にも値上がりすると(一つ目の住宅があるブルックリンのベッドスタイとか地価上昇ヤバいし)、自分たち住民もその恩恵を受けてもいいのではないかと考え出す人も出てくる。またそれに便乗して儲けようとする業者も住民たちに甘い声で囁きかける。そういうなか、ソーシャル・ハウジングとして設立された協同組合の規約を組合員の投票によって変更して、それぞれの住民が自分の所有分を自由な値段と相手に自由に売る事ができるようにすべきだ、という運動が展開される。

完全私有化を主張する人のなかには、せっかく綺麗になって発展していく地域のなかで自分たちの住む場所だけ過去に取り残されていく、新しい街の住民にふさわしくない人には売却金を手にしたうえで退去してもらい、より発展させたい人だけ残るべきだといった利己的なものから、ソーシャル・ハウジングはそれまで不動産所有による財産形成の機会がなかった人にそのチャンスを与えたのだから、売却することでその資産を現金化し子孫に与える手段を与えることでその歴史的意義を終えるべきだといったものなどさまざま。もともと政府の融資やさまざまな優遇によってソーシャル・ハウジングが成立し、いまの住民たちがそこに入居できたのも政府の施策のおかげだったのだが、政府の政策によって先住民から土地を奪い、そこに政府の支援を通して住宅を増やしそれを白人たちに分配して資産形成のきっかけとしたのはアメリカの歴史においてごく当たり前のパターンで、ソーシャル・ハウジングの利益が私物化されるのもその流れに沿っている。またマンハッタンのほうの住宅はもともと黒人たちが多い地域に建てられており、少なくない黒人たちが「どうして政府は白人たちに与えてきた資産形成のための機会を自分たち黒人には禁じているのか」という憤りを感じるのも無理はない。しかしソーシャル・ハウジングを私有化してしまうと、たまたまその恩恵を得ることができた黒人たちは良いとしても、この先の未来でソーシャル・ハウジングの恩恵を得るはずだった数しれない世代の黒人たちからその機会を奪ってしまうことになる。

私有化をめぐる住民どうしの対立とグダグダな争い、その戦術や論理などの話もおもしろく、投票の結果も報告されているのだけれど、より本質的には、市場から切り離された「住むための住宅」として作られたはずのソーシャル・ハウジングが、ふたたび「資産形成の道具としての住宅」として市場に巻き込まれ、その意義を奪われていったケース・スタディとして読める。ソーシャル・ハウジングは「住むための住宅」を恒久的に提供することが目的とされており、「いずれ地価が値上がりしたときにたまたま組合員だった人が売って儲けられるのが本来のあり方」のはずがないのに、利益に目がくらんだ人や、その利益こそが歴史的な排除や抑圧に対する正当な賠償金のようなものだと考える人たちが勝手にその「本来の目的」を読み替えてしまったのは、協同組合の仕組みにどういう形であれ個別の所有権が設定されていたニューヨークのやり方に欠陥があったとしか。

今後ソーシャル・ハウジングの導入を進めるうえでは、住宅はある一つの時点の住民が自由にしていいものではなく、現在の住民は過去の住民や未来の住民への責任を負うことを、理念としてだけでなく規約のなかで明確に定めるとともに、住宅の目的は人々が安心して住むことができる場であり資産の形成や相続のためのコマではないことを徹底させる必要がある。