Thea Riofrancos著「Extraction: The Frontiers of Green Capitalism」

Extraction

Thea Riofrancos著「Extraction: The Frontiers of Green Capitalism

気候変動対策のために期待を集める蓄電池の原料として必要とされるリチウムをはじめとした資源の採掘・加工の現場と、それらをめぐる国際的な競争や衝突をもとに、資本主義における石油や石炭資源の過剰な採掘・利用によって引き起こされた環境の危機が「緑の資本主義」を掲げたさらなる資源採掘では解決しないことを説く本。

本書はいっぽうでボリビアやチリなどリチウムが採掘されている現場で引き起こされている環境破壊や健康被害、先住民の迫害などを追いつつ、もういっぽうでは欧米や中国がリチウムを戦略的物資として国内もしくは友好国で採掘し敵対国への輸出を制限しようとする(アメリカの場合は資源が豊かなグリーンランドを自国の領土に組み込もうとまでしている)国際政治の状況も同時に追う。しかしたとえばアメリカ国内でリチウムを採掘するとなった場合でも、実際にそれが行われるのはかつて土地を奪われた先住民たちが追いやられ、さらに原爆の実験場とされたネヴァダの砂漠であり、先住民が犠牲にされることはかわらない。またかつて原油産出国が連帯して欧米を石油ショックに見舞わせたOPECをお手本にリチウムやいわゆるレアメタルの産出国が資源ナショナリズムを掲げて資源採掘業者より有利に立とうとするも、先住民たちは欧米の大企業を交渉の場につかせるための口実に使われたあと、やはりその交渉の場からは排除される。

仮にガソリンで走る自動車を全て電気自動車に置き換えたとしても、その移行にはいまよりはるかに大量な資源の採掘が必要となるし、それだけの電力を発電するキャパシティを生み出すだけで新たな発電所がたくさん必要になる。それらを全て再生可能エネルギーで賄うのだとすると、またそこに大量の資源であり、世界各地に環境破壊と社会の不安定化をもたらしてしまう。どうしても必要な車の燃料をガソリンから電気に置き換えるのは良いことだが、本当に必要なのは個人が車を乗り回すことを前提とした社会を変えて、自動車の数自体を、そして消費するエネルギー自体を、いまよりずっと減らすことだ。また使い終えたリチウム電池を回収してリチウムを取り出し再利用するサイクルをより徹底する必要もある。

わたしたちが生活を一切変えなくても新しいテクノロジーが問題を解決してくれるという技術楽観論を、本書はそのテクノロジーが必要としている資源の採掘・加工の側面と、限りある資源をめぐる国際政治上の対立の側面から否定してくる。自動車を減らす・エネルギー消費を減らすというのは、必ずしもただ今より貧しい生活をするとか贅沢を我慢するという意味ではなく(いまの先進国の水準に比べればそれも必要だけど——著者の意見でなくわたしの考えを言うと、せめて肉食を劇的に減らすくらいは)、生活に自家用車を必要としないような都市設計を行い、より健康で豊かな生活につながる部分にエネルギーを消費する、という考え方でもあり、著者が訴える未来はそういうものだ。