Jenny Schuetz著「Fixer-Upper: How to Repair America’s Broken Housing Systems」

Fixer-Upper

Jenny Schuetz著「Fixer-Upper: How to Repair America’s Broken Housing Systems

アメリカの「壊れた」住宅政策を建て直す本。200ページちょっとの短い本で、「アメリカの壊れた住宅システムを建て直す方法」というサブタイトルに「これは大きく出たな!」と思ったけど、この本すごい。本当に住宅問題を直す方法が書かれている。著者はリベラル寄りながら保守からも尊敬される数少ない政策シンクタンク・ブルッキングス研究所の研究員で、都市政策の専門家。地方行政から連邦政府、デベロッパー、業界団体、住民運動など住宅政策のさまざまなプレイヤーがゾーニングやインフラ整備など住宅政策にどのような影響を与えているのか、どうして住宅にあぶれる人が出てきたり、住居の質や持ち家率において人種格差がうまれているのか、そしてそれらはどのような要因によって固定化されてしまっており、どのような政策を採用すれば乗り越えることができるのか、といったトピックについて、コンパクトながら溢れるほどのデータと政策知識が次々と披露される。わたしもシアトル市で慢性的な低所得者向け住居の不足やジェントリフィケーションといった問題に関係する活動をしているのでものすごく参考になったし、周囲にも広めたいと思った。てゆーか大人になったらこんな政策専門家になりたい。

シアトル市でも問題なのは、市の大部分が「一家族が住むための一戸建ての家」だけしか建設できない地区としてゾーニング指定されていることだ。シアトルの人口は過去数十年で大きく増えており、仕事から近いシアトル市内に住みたい人は多いのに、十分な住居が物理的に準備できない。一戸建ての家に住めるのは、アマゾンやマイクロソフトなど地元の大企業で高い給料をもらっている人か、たまたま昔シアトルの人口が少なかったときに家を買ってずっと持ち続けた人だけだ。住居を増やすには、ゾーニングを取り払ってアパートなど複数の人や家族が住める建物に建て替える必要があるが、現に一軒家に住んでいる人たちは周囲に住民が増えることで騒音や交通量が増えたり教育予算に負担がかかったり、あとあんまりはっきりとは言わないけど自分たち(白人が多い)より貧しい住民(非白人が多い)が増えかれらと交流しなくてはいけなくなったり、その地区の格、そして自分たちの不動産の価値が下がることを懸念するため、規制撤廃に反対する。地区の学校にかけられる予算はその地区の住民が払う税金で決まるので、自分たち富裕層が払う税金で運営される高い水準の学校やその他の公共施設は自分たちだけで利用したい、とも思う。市議会がゾーニングを変更しようとしたら、かれらはメディアや公聴会で「コミュニティを守れ」と活発に運動するので、政治家はなかなか手を付けられない。

もし規制がなければ、ある土地に一軒家が建てられるかアパートが建てられるかは市場によって決められる。一軒家の家は住民一人あたりで見ると建設費用が高いけれど、一階建てか二階建ての建物が多い。限られた土地を有効に使いより多くの人が住めるようにするには、一人あるいは一家が住む空間を減らすと同時に、階数を増やして縦方向の空間を生み出す必要がある。高層にすればするほど層あたりの建築・維持コストはかかるようになるので、生み出される居住空間の価値と建築・維持コストが釣り合うだけの高さの建物が建てられる。ほとんどの土地にはそこまで高層化するほどの価値はないので、ゾーニングを緩和してもそこら中に高層アパートが立ち並ぶようなことにはならない。しかしゾーニングはそうした効率的な土地利用を妨げている。

Richard Rothstein著「The Color of Law: A Forgotten History of How Our Government Segregated America」やKeeanga-Yamahtta Taylor著「Race for Profit: How Banks and the Real Estate Industry Undermined Black Homeownership」にも詳しく書かれているように、アメリカの住宅政策の歴史は人種差別の歴史でもある。奴隷制のあった南部はもちろん北部でも、白人たちは政治や不動産業界の慣例を通して人種隔離を徹底し、事業などで経済的に成功した黒人ですら白人たちが住む環境のいい住宅街に引っ越すことはできなかった。第二次世界大戦後、帰国した元兵士たちに対してアメリカ政府は住宅補助を提供し、多くの人が住宅を購入して資産形成をはじめたが、そこから黒人の元兵士たちは排除されていた。オクラホマ州タルサをはじめ多くの都市で、黒人たちが自力で作り出した豊かな街は白人たちによって時に暴力的に、時に高速道路整備を口実とした土地の強制接収などによって合法的に、潰された。2000年代には無規範な金融自由化により黒人家庭を狙い撃ちするような搾取的なサブプライムローンが生まれ、住宅バブルが盛り上がる中、持ち家を夢見た多くの黒人たちが(バブル破裂以前から)財産を失った。一軒家の持ち主を優遇する現在の住宅行政は、白人を優遇した過去の住宅政策によって生まれた膨大な資産の格差を温存・拡大する方向にはたらいている。

こうした過去の住宅政策によって生み出された不公正は是正されるべきだし、たとえばイリノイ州エヴァンストン市は市が過去に採用した差別的な住宅政策により被害を受けた黒人住民たちへの補償として、当時市内に住んでいた黒人住民の子孫を対象とした住宅購入の支援金を支給した(これはよく「アメリカ初の公的な奴隷制への補償」と間違って報道されたけれど、市は「市による具体的な政策」として20世紀の住宅政策に焦点を絞った)。しかし著者は、住宅がアメリカの中流家庭の主要な資産形成の手段であり、黒人たちがそこから排除されてきており是正が必要とされることを認めつつも、市民の資産形成を住宅に集中させることの政策的な問題も指摘する。どの投資アドバイザーに聞いても必ず言うように、安全な資産形成のためには多数の投資先に資金を分散する必要があり、住宅というたった1つの対象に資金の大部分を投入するのは投資として間違っている。しかも、ある地域における不動産の価値は、その地域が経済的に好調かどうかに連動しており、地域の経済が停滞すると不動産の価値が下がると同時に自分が失業するリスクや所得の減少が起きる可能性も高まるので、リスクがヘッジされていない。アメリカの政治家たちは住宅購入こそが資産形成の手段であるとして持ち家を奨励あるいは推奨してきたが、本来ならよりバランスの取れた資産運用をインセンティヴァイズするべきだ。

また著者は、気候変動の影響により自然災害が増え被害の規模も大きくなっていることを指摘し、より環境負荷の低い住居の建設を推奨するほか、自然災害や海面上昇に対して脆弱な土地ではなくより安全な土地に住居を建てるようなインセンティヴを増やすべきだ、とも主張する。一戸建ての家よりはアパートなどの集合住宅のほうが住民一人あたりのエネルギー効率は良いし、なにより仕事の近くに住むことができるようになれば遠くから都心に通勤するために費やされるエネルギー消費が削減できる。これまで既に一軒家に住んでいる裕福な地域住民の既得権益によって社会全体に利益のあるゾーニングの緩和などの合理的な住宅政策は自治体レベルで阻まれてきたけれど、気候変動対策や人種間格差の是正などを理由に連邦政府や州政府が介入する余地はある。

仮にゾーニングの緩和などによってより小さな住宅が増えて、家賃が適正な市場価格に落ち着いても、家賃を払えない人たちはいるだろう。そうした人たちは住居不足ではなく単純に所得不足に苦しんでいることになるので、ベーシックインカムや既存の住居バウチャーの拡大などによる所得再分配が必要。民主党と共和党のそれぞれの政治家たちは具体的な手法については異なるアプローチを好むけれど、住宅市場が「壊れている」ことについては両党は合意しており、きちんとした政策を推進する超党派の市民運動が活発になれば政策が変わる見込みはある。たとえばオレゴン州ではゾーニングを緩和する法案が2019年に超党派の賛成により成立して、全国のモデルとしてバイデン大統領にも注目されている。

オレゴンの影響を受けてか、シアトルでも数年前までは「家賃の値上げを禁止しろ」とばかり言っていたわたしの周辺のポンコツ社会民主主義者たちが「ゾーニングを緩和しろ」と言うようになっているけれど、こうした運動が本当に力を持つためには現状こうした主張をしている高学歴白人左翼だけでなく超党派で人種・階級の敷居を超えた連帯が必要。また、一軒家の持ち主や現状に満足している業界団体を完全に敵に回すのもまずいので、なんらかの形でかれらも利益を実感できるような政策パッケージが必要。この本はそういう内容までカバーしており、わたしがシアトル市で関わっている活動にものすごく役に立ちそうだと思う。