Steven W. Thrasher著「The Viral Underclass: The Human Toll When Inequality and Disease Collide」

The Viral Underclass

Steven W. Thrasher著「The Viral Underclass: The Human Toll When Inequality and Disease Collide

コロナ危機によって表面化した「感染症による不平等な被害」を生み出す社会的格差と経済制度への対抗を呼びかける本。著者は黒人ゲイ男性のジャーナリストであり、かねてから調査していたニューヨーク市におけるHIV/AIDS感染者の分布図と初期のCOVID-19による死亡者の分布図が一致していることに気づいたことから、感染症への脆弱性の分配が社会的な不均衡の産物であることを痛感する。

2020年に起きたのCOVID-19パンデミックの初期には、コロナはすべての人々にとっての危機であり、人種や階級と関係なくすべての人たちはコロナの脅威のまえに平等だ、といったことがさかんに言われた。ところがロックダウンがはじまってすぐに、リモートで安全に働ける人と命を危険に晒して仕事に行かないといけない人、職や住居を失って生存を脅かされる人とのあいだの格差が明らかになった。ニューヨーク州ではコロナ陽性が明らかになった人たちが老人ホームに送られた結果多数の人たちが亡くなり、非白人の移民が多数働いている精肉工場ではなんの対策も取られず多くの人がSARS-Cov-2に感染した。一部の病院では設備や人員が圧迫された結果、重い障害を持つ患者については万が一の場合蘇生しないことが決められた。狭い住居に複数の家族が住んでいる貧しい移民や先住民らのあいだでCOVID-19は爆発的に流行した。

「コロナパーティ」を開いた学生たちが無責任だとメディアで非難されたり、マスクを着けていない人たち、主に黒人やらティーノたちが街で警察に拘束されるなどしたけれど、コロナ拡大を抑止する責任が個人に押し付けられ、経済活動を維持するために多くの移民や黒人・ラティーノの労働者たちが危険を強いられていたり、労働力として期待されていない高齢者や障害者の命の優先順位が下げられたり、人種や階級によってより多くの感染への危険に晒される要因である現代資本主義は批判を免れ、その成功者たる大富豪はパンデミックを通して資産を大幅に増やした。

コロナによる不相応な被害を負わされた黒人やラティーノの労働者や貧しい人たちは、被害者としてではなく「危険をもたらすコロナのベクター」として二重に苦しめられた。これは著者がもともと調査していたHIV/AIDS被害者たちの経験とよく似ている。HIVに感染した人たちは長年、パニックを起こした周囲によって差別されたり、「他人を感染の危険に晒した」として処罰の対象とされた。抗HIV薬が開発され、薬を服用してウイルス量増加を抑えている限りは他人に感染させることはない、という科学的知識が広まるとともに、かつてHIV感染者であることにより差別や刑罰の対象となっていた白人中流ゲイ男性たちがそれらから逃れることができるようになった一方、医療から見放されていたり住居や職など生活を安定させるリソースに恵まれない貧しい人たちや非白人、移民らはその恩恵を受けられず、同じHIV感染者のあいだの格差はむしろ拡大した。コロナでも感染者に対する偏見や差別が起きたが、郊外の広い家で隔離しつつリモートワークを続け食料その他必要なものは家に届けてもらえる白人中流層の人たちに比べ、もともと立場が弱く隔離することが難しい人たちに差別や偏見の被害は集中した。

また、コロナ危機においてはワクチンに関する懐疑論や陰謀論がワクチン普及の障害となったが、ワクチンに対する懐疑的な意見が広まったもともとの原因はアンドリュー・ウェイクフィールド元医師が広めた「MMR(麻疹・おたふく風邪・風疹)ワクチン自閉症原因論」だった。かれの主張は科学的に否定されているけれども、その科学的な是非とは別の問題として、自分の子どもが自閉症になるリスクを負うよりも、死亡の危険もある深刻な病気になる危険を犯す方を少なくない親たちが選ぼうとしている事実に、著者は障害者の命の価値を低く見る社会的偏見を見出す。

とはいえ親たちにとって、この選択は決して不利なギャンブルではない。ワクチンによる副作用のリスクはその子と家族だけが負うのに対し、ワクチンによる効用はその子だけでなくほかの子たちの安全も増やし、地域に住む人たちすべてが共有するものだ。そのため自分の子どもはリスクを取らず、ほかの子どもたちがリスクを取ってくれれば、自分は安全なまま効用だけを受け取ることができる。

さらに、感染症のリスクはワクチン接種の有無だけで決まるものではない。普段からの食生活や住環境から医療へのアクセス、職種、他者との密集環境にあるかどうか、汚染物質やストレスの有無、十分な休養が取れるかどうか、などさまざまな要因により免疫の強さは影響を受けるし、また感染した場合に十分な医療を受けられるかどうか、療養する余裕があるかどうかも平等ではない。もともと恵まれた環境にいて感染リスクが低かったり感染した場合に万全の対処が取れる人にとってはマスクやワクチンを拒絶して増えるリスクは大したことがなくとも、もともと大きなリスクを背負っていて感染した場合の対処を取る余裕もない人にとってはマスクやワクチンを拒絶する人がもたらすリスクの増大は致命的になりかねない。

コロナ危機が拡大するなかで、各国政府は社会全体のリスクを軽減するためのさまざまな政策を取り、医療格差の大きいアメリカ政府ですらコロナ検査やワクチンを無償化した。しかしそれは同じように社会全体の疾患リスクの軽減をもたらす包括的な社会政策、たとえばそれ以外の医療の無償化や平等化といった政策にはつながっていない。コロナに対してアメリカ政府が無償の検査やワクチンを提供したのは、コロナ危機が労働力を激減させサプライチェーンを圧迫し経済活動を停滞に追い込んだことへの反応であり、コロナの影響から資本主義を守るための例外措置だった、と著者は指摘する。

同じようなことはHIV/AIDS問題をめぐってわたしも常々感じている。たとえばストリートで働いている性労働者やトランス女性に対してHIV感染を予防する薬(PrEP)を提供するプログラムがあり、希望者はそれを無償で受け取ることができるが、本来その薬は月に1200ドル(約16万円)ほどする。もし薬ではなく月に16万円を彼女たちに現金で支給すれば、かれらは住居を得るなど生活を向上させることができ、その結果HIV感染のリスクがある性労働をする必要もなくなるかもしれない。政府は彼女たち自身の健康や生活の向上ではなく、「彼女たちがベクターとなって感染を一般社会に広める」ことを懸念しているのではないか、と感じずにはいられない。

ニューヨークだけでなく世界各地からコロナやその他の感染症が社会のどのような格差や不均衡と関連し、どのような新しい運動を生み出しているのか、そして感染症への対策を超えてどのように社会的な連帯を紡いでいくのか追求した力作。