Jennifer C. Pan著「Selling Social Justice: Why the Ruling Class Loves Antiracism」

Selling Social Justice

Jennifer C. Pan著「Selling Social Justice: Why the Ruling Class Loves Antiracism

左翼からのDEI(多様性・公平性・包摂性)アプローチ批判の本。2020年のブラック・ライヴズ・マター運動の高まりを受け資本家や専門職・管理職階級(professional-managerial class、PMC)がどうして一斉にDEIや反レイシズムの推進に舵を切ったのか、それによってどういう利益を得ているのか指摘するとともに、人種や民族に関わらず労働者階級共通の利益を目指す運動を呼びかける。

人種と階級、ジェンダーと階級を対立させて階級闘争を優先させるよう呼びかけるのはオールドタイプの左翼としてスタンダードで(たとえばFredrik deBoer著「How Elites Ate the Social Justice Movement」やMichael Walzer著「The Struggle for a Decent Politics: On “Liberal” as an Adjective」参照)、左からのDEI批判は珍しくない。民主党が金融業界やテクノロジー業界と結びついて労働者を切り捨てたために労働者階級からの支持を失い、反レイシズムや女性やLGBTの権利擁護など社会的価値観に共感する意識の高い高学歴のPMCにしかアピールしなくなっている、というのもまあその通り。しかし著者自身も認めるとおり、労働者階級の生活を向上するために有効だと考えられる皆保険制度や住居支援、子育て支援などの再分配政策をその労働者階級(の特に白人)はあまり支持せず、他国や移民を攻撃するトランプの主張こそが「政策として有効かどうかはわからないけれど、少なくとも自分たちの不満に耳を傾けてくれた」として共感を呼んでしまうというところにアメリカの混迷がある。

2020年以降おおくの企業や大学、メディアなどが導入したDEIプログラムは、それらの企業などが普段の活動、たとえば資源採掘やその加工、組み立て、輸送や販売における(とくに黒人やその他の非白人に負担がかかっている)労働搾取から目を逸らし、個々の労働者の「意識の低さ」を責め立て、かれらの職場やソーシャルメディアでの発言など私生活に対する監視を強め、一方的に処罰する口実とするなどして資本家の権力を拡張する方向に歪められているという指摘は重要。企業による差別を取り締まる政府部署が予算を減らされ影響力を失うなか、それと交代に発達した企業内のDEIプログラムやDEIコンサルタント業(これもPMCだ)は差別の責任を個々の労働者に押し付けるだけでなく、いざ企業が組織的差別を裁判に訴えられた際、「経営者は差別抑止のためのプログラムを十分に実施していた」として責任から逃れるためのアリバイとなる。

このように企業DEIやDEIコンサルタントに対する批判はおおむね納得がいく内容だったのだが、いっぽう人種差別について矮小化するような内容が多くそこには疑問が残る。たとえば著者は、職場における人種間の収入や地位の格差は実際のところ学歴など階級上の格差によるものであり、階級の影響を省けば人種間の格差は存在しないとまで言っているが、実際のところ人種と階級は切り離せないし、そうでなくとも大いに疑問。また人種差別に対する取り組みに対しても否定的で、たとえばバイデン政権がビルド・バック・ベター法案のなかで「医療における人種格差についての調査」に予算を振ったことを著者は批判して、「医療における人種格差について調査するより、皆保険制度を導入したほうが黒人たちの健康はずっと改善される」と言うけれど、それができるならとっくにやってるよ!という話。実際、ビルド・バック・ベター法案は史上最大規模の再分配政策だったわけど、それが共和党とマンチン上院議員によって潰されたのは別にバイデンが人種問題にこだわりすぎたからではなくて、単に再分配政策への反対が強かったからでは。

政権がかわり、企業のDEIに対する政治的攻撃が激化した結果、おおくの企業は一斉にDEIの取り組みを廃止しているのが現状で、たとえば今年のシアトルでのプライドパレードは企業スポンサーが激減して去年までに比べてかなり規模が小さなものになるらしい。さぞや本書の著者も満足でしょうね、と嫌味を言いつつ、この本出すの遅すぎたよね絶対。