Helen Hester & Nick Srnicek著「After Work: The Fight for Free Time」

After Work

Helen Hester & Nick Srnicek著「After Work: The Fight for Free Time

女性の負担が大きい社会的再生産労働の構造的変革を経た「ポスト労働」社会を構想するフェミニズムの本。

労働というとき、伝統的には主に男性が家庭の外に出て賃金を稼ぐための活動が意識されがちだが、家庭も社会的再生産という労働の現場であるというのは社会主義フェミニズムから広がった現代的な認識だ。社会的再生産とは次世代の労働者となる子どもたちを産み育てる生殖・育成だけでなく、掃除や洗濯、買い物、調理、あるいは家族・親族や社会的な絆の維持まで含めて、賃金労働者が休みを取りまた出勤できる体制を維持する労働のこと。

20世紀以降、家庭には電気や水道が普及するとともに「家庭内労働の負担を減らす」とするさまざまな電化製品やテクノロジーが導入され、実際にそれらは掃除や洗濯などの負担を軽減したが、それと同時に、一定の年齢を過ぎた子どもが「小さな労働者」からまだまだケアを必要とする対象とされたり期待される掃除や洗濯などの水準が変化するなどして、女性が平均的に負担する家庭内労働の総量は変わっていない。また女性は家庭の収入が足りなかったり、戦争による兵士の動員などの理由により労働力が不足したときに賃金労働に出る調節弁として機能してきたが、コロナウイルス・パンデミックでは「家庭内でケア要因が不足したとき」に賃金労働から家庭内労働に移行する逆の意味での調節弁でもあることが明らかになった

家庭内労働の不均衡に対するフェミニズムの回答は、第一には女性も男性と対等に賃金労働に出るのと引き換えに男性も女性と対等に家庭内労働を負担すべきだとする男女平等論だが、それがなかなか実現しないなか現実に起きているのは、家庭内労働をより立場の弱い移民や非白人女性に外注することで自らの賃金労働への障害を取り除く白人フェミニズム的な労働転嫁だ。著者らはこうした現実に対し、家庭内労働の負担を転嫁するのではなく実際に減らすことでほんとうの意味で自由な時間を作ることを主張する。

その一つのヒントとなるのは、過去にさまざまな、しかし不十分な形で実施された、家庭内労働の共産化の試みだ。たとえばロシア革命後のソ連では、五カ年計画による産業化の推進によって都市部に人口が集中し住宅が不足した際、それを解決するためとして集合的な居住空間が提案された。洗濯や調理を各家庭で行うのは無駄が多く、共同の洗濯場や共同の調理場で全員分をまとめて洗ったり作ったりしたほうが効率的なのは明らか。しかし現実にはソ連政府はそうした居住空間を作るだけは作ったものの、実際の労働は女性たちによる無償の労働に頼ろうとしたため、うまくいかなかった。ちなみに同時期、資本主義のアメリカではフレデリック・テイラーが提唱した科学的管理法の家庭への適用が推進されていたが、こちらも家庭のスケールでは効率化が達成できなかった。

また1960年代に一部で広まったコミューン運動も、家庭ではなくコミューン単位でのよりシンプルな生活を追求したが、伝統的に女性が負担させられていた労働がそのまま女性の担当になったことは同じ。レズビアン分離主義者らによる「女性の土地」運動では構成員全員が対等に必要な労働をすることが実践されたが、実際にそうしたコミュニティに参加できる人は少なく、ほとんどのレズビアン分離主義者たちは実際には普通の仕事をしながら「私生活では男性と付き合わない」程度だった。ちなみにわたし、むかしそういうコミュニティにいた人を何人か知ってるけど、「食べ物がクソマズだった」という話は繰り返し聞いているので、多少は専門化していたほうが良かったような気もする。

そうした家庭内労働の共産化のこころみは、性役割を解消できなかっただけでなく、プライバシーがなかったり、一部の人たちだけ発言力が大きくなってしまったなど、さまざまな理由でうまくいかなかった。著者らもいまさらわたしたちがそういうコミューンに移行すべきだとは主張しない。しかし同時に、共産化によるスケールは一人の生活に必要な社会的再生産に必要な労働力を減らすし、オートメーションの恩恵も受けやすいことは確か。政府がそれを市民に押し付けることがあってはいけないが、現にひとびとは資本主義社会と税制やその他さまざまな制度によって核家族を前提としている政府の施策によって賃金労働だけでなく非効率的な社会再生産労働を押し付けられており、それに対するオルタナティヴが提示されるべきだと主張。家庭内労働の社会化というオプションが提供され、必要なときにそれを選ぶことができることは、人々の自由を増やす。

その大前提となるのは、家庭のアーキテクチャの変革や期待される社会的再生産の水準の変化とともに、スケールと自動化による効率化。技術革新によって生産力を爆発的に増やすことで生存のための労働から解放される、という共産主義の論理を社会的再生産労働に適用した、マルクス主義的には王道な議論になっている。Sophie Lewis著「Abolish the Family: A Manifesto for Care and Liberation」やわたしの友人でもあるM.E. O’Brienさんが最近出した「Family Abolition: Capitalism and the Communizing of Care」と多くの議論を共有しているものの、著者らは「家族の廃止」というスローガンは多くの人たちが大切にしている「家族」を取り上げようとしているという誤解を招くとして、「ポスト労働」を掲げている。まあそりゃそうだよね、とは思ったものの、表紙のイラストって家をひっくり返してません?