Christopher Slobogin著「Virtual Searches: Regulating the Covert World of Technological Policing」

Virtual Searches

Christopher Slobogin著「Virtual Searches: Regulating the Covert World of Technological Policing

テクノロジーを利用した市民の監視や追跡が容易になった現代において、どのようにして米国憲法修正4条で保障された「不合理な捜索」からの自由を守りつつ犯罪捜査を可能にするか、という本。

上記のとおり憲法修正4条では「不合理な捜索」からの自由が規定されているが、その対象となるのは「身体、家屋、書類および所持品」に限られている。建国時はこれで良かったのかもしれないけれども、ここには監視カメラの映像や、モバイル決算を含む銀行の口座履歴、携帯電話の位置情報、ソーシャルメディアへの書き込みを含むネットの利用歴といったデータは含まれておらず、またそれらのデータを販売する民間業者の存在も想定されてはいない。すなわち政府は憲法修正4条の規定に違反することなく、これらのデータを自由に取得あるいは買収し、マイニングし、犯罪捜査に役立てることができることになっている。

それはさすがにまずいのではないのか、ということで、各地で警察による監視テクノロジーの利用を規制する議論が高まっており、わたし自身シアトル市でそういったグループに関わっている。とくにこうした監視は「データに基づく防犯」という口実でそもそも差別や貧困、不公平な警察の取り締まりなどの結果「犯罪のホットスポット」とされる黒人やラティーノが多く住むコミュニティで展開され、その結果さらにそれらの地域の犯罪が掘り起こされ逮捕・起訴に繋がり、その結果さらにそうした取り締まりが新たに得られたデータによって正当化される、という循環を生んでしまっている。

著者は警察による監視テクノロジーの利用について、「バランスの取れた」規制を主張。たとえば既に起きた犯罪についての情報を市民から募ることは当然認められるべきだけれど、アマゾンのような企業に多数の家庭が設置しているカメラ付きドアベルのデータを警察に提供させるのは特定の犯罪の捜査において必要となったときにそれなりの手順を踏んで行うべきだ、など。アル種のテクノロジー利用を禁止するのではなく、必要性とそれによる市民の生活への影響を比べてバランスの取れた規制をすべきだ、というのが著者の考えなのだけれど、市民が受ける影響が一定ではないことに無自覚的な気がする。

たとえば警察の職務質問や交通検問は一般にはそれほど大きな負担ではないとされているけれど、人種など外見を理由に同じ人が繰り返し職務質問や検問を受けるようだとその人たちにとってそれは大きな負担となる。同じように、一般にはそれほど大きな侵害ではなくとも特定のコミュニティが政府による監視を常に受けるようなら、個々の侵害行為は大したことがないからといって規制しないことは政府による不平等な扱いを広げてしまう。著者は、中国政府によるウイグル人など少数民族の監視は防犯目的ではなく政治目的だから防犯を目的としているアメリカの監視テクノロジー利用とは異なる、と言っているけれども、ポートランド市警察がブラック・ライヴズ・マター活動家の位置を極右団体プラウドボーイズに教えていた例があるように、そうとも言えない。

シアトル市では監視テクノロジーの利用に関して市議会への報告が義務付けられており、一時期その報告に反して警察が勝手に顔認識システムを利用していたとして問題になったこともあるけれども、最低限そういった透明性は必要。わたしは刑事司法制度改革委員会のメンバーとして市議会で発言した際、警察によるデータ利用はアルゴリズムがオープンとなっているものだけしか認めるべきではないと主張した。機械学習を使ったデータ分析は不公平な扱いを受けた人が自分がどうしてそういった扱いを受けたのか(そしてそれに人種やその他の要素は関わっていたのか)分からないものが多く、政府による利用はより厳しく規制される必要がある。また、政府自身による監視を規制するだけでなく、同じ情報を民間企業が収集して政府に売るといった抜け道も防がないといけない。