David E. Bernstein著「Classified: The Untold Story of Racial Classification in America」

Classified

David E. Bernstein著「Classified: The Untold Story of Racial Classification in America

20世紀中盤以降のアメリカにおける政府による人種の分類についての本。政府による公的な人種分類は、かつては米国に移住したり市民権を得る資格の有無や、誰と誰が結婚できるか、どこに住めるかなどを規定するために使われていたのに対し、現代では政府によるアファーマティヴアクションの受給資格(大学入学におけるそれが問題とされがちだけれど、政府による民間契約の一定の割合をマイノリティによる業者に受託させる決まりやマイノリティ業者に対する助成金の方がはるかに規模が大きく受給資格をめぐって騒動になりやすい)を決めたり社会的な不平等や医学研究の偏りをただすための指針として使われる。本書ではその前提となる分類基準が科学的・人類学的に大きな欠陥を抱えていることがこれでもかと指摘される。

現在米国で採用されている人種カテゴリが規定されたのは1970年代。その時作られたのは白人、黒人、アジア・太平洋系、北米先住民の4つのカテゴリだったが、1997年にアジア系とハワイ・太平洋系が分離され計5つのカテゴリが国勢調査などで採用されているほか、近年アラブ人やイラン人など中東や北アフリカ系の人たちを新たなカテゴリとして追加する(現時点では白人として扱われている)議論もある。また、それと別に「ヒスパニックかラティーノ」であるかどうかが問われ、「ヒスパニックやラティーノではない白人」がいわゆるマジョリティの白人として統計上扱われる。

これらの大まかなカテゴリはアファーマティヴアクションや医学研究の基準、政府による統計調査を定めた法律や規則で採用されているものの、それぞれの法律や規則が定められる際にさまざまなコミュニティの働きかけを受けた結果、一貫した定義は存在しない。たとえばヒスパニックにスペイン出身の白人移民やポルトガル語を話すブラジル人が含まれるのか、先住民として認められるのは連邦政府に認定された部族だけなのか州政府の認定も含めるのか、パキスタン人はアジア系だがアフガニスタン人やイラン人はどうなのか、フィリピン人は(地理的に)アジア系なのか(遺伝子的に)太平洋系なのか(歴史的・文化的経緯から)ヒスパニックなのか、など、その境界はその場その場で行政の解釈や司法の判断によって変異する。最近では自他ともに白人だと思っていた人が民間の遺伝子検査キットを使ってわずかにアフリカ系の祖先がいることを知りアファーマティヴアクションを受けようとした例があり、その人の訴えは司法によって却下されたが、法律上の定義に基づくとその人がアフリカ系アメリカ人ではないと判断する理由はなさそうだという問題も。

それぞれのカテゴリの中の多様性も問題となる。たとえばアジア系のなかでは人口的に中国系、インド系、日系が最も多いが、それらのコミュニティは平均所得や平均学歴の点でアメリカ平均を上回っており、したがってアジア系にはアファーマティヴアクションは必要ないと思われがちだが、実際にはより人数が少ないさまざまなアジア系のコミュニティの多くは所得の点でも教育機会の点でも苦しんでいる。アジア系全体の平均を基準に判断することで、それらのコミュニティが抱えている困難が不可視化されてしまっている。また、アフリカ系移民はアフリカのエリート層出身の人が少なくなく(ケニア出身のエリートの息子として生まれたバラック・オバマ大統領や英領ジャマイカ出身のエリートの娘であるカマラ・ハリス副大統領など思い当たる)、奴隷制にはじまる過酷な人種差別を受けてきた一般のアフリカ系アメリカ人たちより有利な立場からアフリカ系アメリカ人の地位を向上させるために作られたアファーマティヴアクションの恩恵を独占してしまうことも。

医学研究においては、かつて白人男性が人間の標準とされ、白人男性だけを対象とした医学研究によって有効とされた治療法が承認された結果、それらが非白人や女性に対して有効ではなかったり、あるいは白人男性には有効ではないけれども非白人や女性に対して有効な治療法が承認されないなどの弊害があったため、現在では医学研究において多様な人種を対象に含むように決められている。その考え自体は正しいものの、そこに国勢調査に使われるカテゴリが採用されることを著者は問題視する。そもそも国勢調査のカテゴリは生物学的な根拠を持つものではないし、「ヒスパニック」の扱いに象徴的なようにアメリカ国内の社会事情を元としているのにアメリカ政府が出資するなど関わりを持つ世界中の研究に適用される結果、わけのわからない結果に。なによりスピードが重視されていたコロナウイルスのワクチン開発においても「より多様な被験者を集めるため」という理由で数週間も開発が遅らされたが、その理由は人種により効果に差が出るという懸念よりは「ワクチンが信用されるためには」被験者の多様性が必要だ、という理由だったという。生物学的な要因による治療の効果の違いを考慮するなら、いまなら非科学的な「人種」カテゴリではなく遺伝子情報を元にするべきだと著者は主張する。

社会的な格差の調査やその対処においては(それらは生物学的格差ではなく社会的な「人種」認識に基づくものであるから)「人種」カテゴリの有効性はよりあると著者も認めるが、それでもやはり上に挙げたような理由で国勢調査のカテゴリは使えないと主張。アファーマティヴアクションにおいては科学的に根拠がなく法と常識が一致するような明快な定義が存在しない「人種」ではなく、「かつてアメリカ大陸で奴隷とされた人の子孫」や「かつて主権を持っていた、あるいはいまでも持っている先住民国家の構成員」といった具体的な歴史的な非人道的行為・侵略的行為の被害を受けた人やその影響を受けた子孫に限るべきだという考え。

著者の言っていることは基本的に正しいのだけれど、深刻な人種差別や過去の人種差別によって生まれた格差が残るなか、正しい対処法だけでは被害が増えるだけという気がする。正しくなくても、エラーが出ても、ただの応急措置であり解決ではなくても、いまより反差別の施策を弱めてしまうのはどうかと。まあいずれにせよ、来年6月頃には大学入学をめぐる裁判で人種を基準としたアファーマティヴアクションを禁止する最高裁判決が出ると予想されているので、それに備えて著者の言うような人種ベースではないアファーマティヴアクションを考えておくのは必要かもしれない。