Alison Young著「Pandora’s Gamble: Lab Leaks, Pandemics, and a World at Risk」

Pandora's Gamble

Alison Young著「Pandora’s Gamble: Lab Leaks, Pandemics, and a World at Risk

アメリカ疾病予防管理センター(CDC)をはじめとする研究機関における事故について長年調査報道を続けてきたジャーナリストが、コロナウイルスSARS-CoV-2の研究所起源説に触れながらこれまで各地で起きてきた研究所からの病原菌やウイルスの流出について書いた本。

2020年にコロナウイルス・パンデミックが起きると、ウイルスはその最初の流行が起きた中国・武漢にあるウイルス研究所から流出したという説が流布された。特定の民族をターゲットとした生物兵器として開発され意図的に放出された(ただしその感染力については少し誤算があったのかも)とする陰謀論から、通常のウイルス研究のなかで何らかのミスがあり流出したという説までさまざまな意見が出されるなか、CDCや世界保健機関(WHO)などは研究所からの流出ではなく自然界で進化したウイルスだと考えられる、という公式見解を打ち出したが、現在でも異論が絶えない。

著者が本書で訴えるのは、SARS-CoV-2が研究所から流出したウイルスなのかどうかは分からないが、これまでにも病原体の流出は何度も起きており、これまで2020年のコロナ危機ほどのパンデミックが起きていなかったのはたまたまだった、ということだ。またわたし自身個人的にこれまで、武漢ウイルス研究所に関してこれまで報告されていることが事実に基づいているのであばSARS-CoV-2が研究所起源ということはなさそうだが、中国政府がなんらかの隠蔽をしていたとしたらその限りではないのかも、程度に思っていたけれど、本書を読んだところ事故の隠蔽や意図的な情報操作はCDCをはじめとするアメリカの研究機関の事故でも頻繁に行われていて、中国の研究所だから信用できないというわけではなく、そもそも世界中どこの研究所であれ公式見解は信用できないと思った。

どうして事故は頻発するのか。もちろん人間のやることなのでミスが起きるのは仕方がないが、本書を読むと、安全のために組織自体が決めた規則が守られない、報告書に書かれている安全装置が実際には設置されていない、報告すべきミスや事故が報告されない、など、できるはずのことができていないケースがとても多い。研究をリードする責任者らは自信過剰なことが多いし、自分たちは自分の身を危険に晒してでも人々を守るために日々研究しているという自負があり、リスクを軽視しがち。またかれらは自分たちこそ病原体の危険を誰よりも理解しているという意識もあり、上からの規制や第三者による安全性のチェックを嫌う。著者がある研究所で過去に起きた事故について取材したところ、はじめは「20年前くらいに1件あった」という話だったのに、話を聞いているうちに次から次へと別の事故が発覚して30件くらいになった例も。ほとんどの場合、感染したのはその研究所や同じ建物の中で働いている研究員や清掃員・洗濯係がほとんどで、その次が家族に感染した例だけれど、それだけの被害で済んできたという幸運に甘えすぎてきた。ていうか、自覚症状がなくても飛沫やエアロゾルで感染するSARS-CoV-2はつくづく感染力が凶悪すぎる。

こうした研究所の隠蔽体質に加え、病原体の研究の情報が生物兵器開発やバイオテロリズムに悪用されるおそれから、ジャーナリストによる情報開示を拒むことができるという事実が問題の究明を難しくしている。著者は内部の協力者から聞いた事故について調べようと情報開示請求を出すも、反テロリズムの規定を盾にとった研究所側に開示を拒否されることが多いという。そうした場合、ジャーナリストが開示拒否は不当であると裁判に訴えれば開示命令が出されることが多いものの、そうした命令が出るまで何年もかかることが多いし、裁判費用もかかるため、研究所側はとりあえず開示を拒否しておけば問題を追求されない。まあそういう場合、著者は記事のなかでわざと「〜という情報開示を請求したが拒否された」と書くことで内部からのリークを誘ったりして対抗している。

本書はもちろん、SARS-CoV-2は研究所起源だった、といった主張はしていないが、研究所からの流出が決してありえない話ではないこと、仮にそうであったとしても隠蔽しようとする動きが(中国だからというわけではなく、世界中どこでも)起きたであろうことを示している。同じく最近読んだ、アメリカの核開発施設ハンフォード・サイトについての本(Joshua Frank著「Atomic Days: The Untold Story of the Most Toxic Place in America」)に続いて、核や病原体といった危険な研究の現場で起きる事故の制御と情報開示の難しさを痛感する。