Amanda Lock Swarr著「Envisioning African Intersex: Challenging Colonial and Racist Legacies in South African Medicine」

Envisioning African Intersex

Amanda Lock Swarr著「Envisioning African Intersex: Challenging Colonial and Racist Legacies in South African Medicine

アフリカにおけるインターセックスの歴史と現在についてのワシントン大学のクィア研究者による本。去年出版されたとき知り合いでもある著者から一冊もらったのだけど後回しにしてしまいたところ、来週ワシントン大学ジェンダー・女性・セクシュアリティ学部のイベントでフィーチャーされるようなので慌てて読んだ。インターセックスについては大抵のことは知っているつもりだったけど、新たに学んだことがあったので読んで本当に良かった。

インターセックス(現在のアメリカや日本では性分化疾患という用語が使われることが多いが、南アフリカの活動家たちがインターセックスという言葉を使い、それに著者もならっているのでここではそう表記する)の人がアフリカには多い、という根拠の薄い学説が伝言ゲームのようにして現代に至るまで引用を繰り返されていることへの疑問から、アフリカにおける人類学研究の植民地主義的な歴史と、それに連なった現代のキャスター・セメンヤ選手に対する欧米メディアやスポーツ界の扱い、そして南アフリカインターセックス協会を設立したサリー・グロス氏をはじめとするアフリカのインターセックス活動家たちの活動までカバーしている。

医療歴史学者アリス・ドレガーは「Intersex in the Age of Ethics」のなかで、19世紀の医学界が性腺(精巣と卵巣)を人間の性別の根拠としたことで、一見典型的な男性とも女性とも異なる人(当時の言葉では「半陰陽」)がいても科学的にはどちらか判別できる、というイデオロギーを生み出したことを説明している。外見にかかわらず精巣があれば男性、卵巣があれば女性であり、一見そう見えなくてもそれは「仮性」であって本当の半陰陽ではないと。実際には精巣と卵巣の両方を持つ、または両方の特徴が性腺にある「真性半陰陽」と呼ばれる人も稀にいるが、当時の技術では患者が生きたままそれを診断することができなかったので、実質的に「真性半陰陽」の存在は社会からかき消され、人間はみな男性と女性に分類できる、ということになった。これには半陰陽の存在によって欧米社会の性概念や性規範が脅かされることを防ぐ意味があった。

しかし植民地主義的な人類学や医学において、欧米の白人より劣った存在、下手をすると白人とは全く異なる種とされたアフリカやアジア、中南米の人たちにはこの見解は適用されなかった。C. Riley Snorton著「Black on Both Sides: A Racial History of Trans Identity」などにも書かれているように、植民地主義の対象となった非白人たちは、過剰に性的で男性と女性の区分があいまいな、クィア/トランス/インターセックス的な存在として認識され、それが白人たちの生物学的・文化的な優越性の科学的な根拠とされた。そういうなか、ある白人研究者が修士論文で「欧米には真性半陰陽はほとんどいないが、アフリカには多い」と書いたことがその後何十年も引用され続け、たとえば最近でもキャスター・セメンヤ選手に関するニューヨーク・タイムズ紙に掲載された記事のなかで著名な医師がそう発言している。

インターセックスである疑いにより競技への参加資格を奪われたり不必要な医療的介入を強要されたことで最も有名なのはキャスター・セメンヤ選手だが、彼女の「The Race to Be Myself: A Memoir」でも書かれているとおり、ほかにも何人ものアフリカ人女性たちが競技参加を拒まれたり、本人にまともな説明もないまま騙されて性腺摘出手術を受けさせられたりしている。欧米ではインターセックスの女の子たちに「適切な」医療措置を行って「先天性の異常」を解消しているのに、アフリカやアジアの国々はわざと医療を受けさせずに生物学的な優位さを温存してスポーツをやらせている、そうすることで「本物の」(白人)女性選手からメダルを奪っている、という差別意識丸出しの陰謀論も後を絶たない。こうした扱いが植民地主義的な人類学の延長線上にあることは明らかだ。

著者は南アフリカインターセックス協会を設立したサリー・グロスさんと長年の友人だそうで、本書をとおしてグロスさんの功績を記録に残そうとしている。南アフリカに生まれたユダヤ系白人のグロスさんは、ラビ(祭司)を目指すも南アフリカのユダヤ人コミュニティがアパルトヘイト政策に反対しないことに反発、当時は政府により違法なテロ組織とされていたアフリカ国民会議に入り反アパルトヘイト活動に携わった結果、亡命を余儀なくされる。自由選挙によってネルソン・マンデラが大統領に当選したあとの南アフリカに帰還し、アメリカの北米インターセックス協会などと協力してインターセックス運動家としての活動をはじめる。彼女は2014年に亡くなり南アフリカインターセックス協会も一時期自然消滅したけれども、反植民地主義と反アパルトヘイトの運動をインターセックスの権利運動に接続した彼女の功績はいまのアフリカのインターセックス活動家たちにも受け継がれているし、もっと注目されるべき。

わたし、セメンヤさんが騒がれた当時にグロスさんと連絡を取り、彼女の声を拡散しようとしたのだけれど(その文章は本書でも引用されている)、それ以外あんまり彼女と関わりがなくて、というか南アフリカ出身の白人というだけでちょっと距離置いていたわごめんなさい。もっと話をしておくべきだったと後悔するばかりだけど、残された文章はまだ読めるし、ほかのアフリカのインターセックス活動家の声にももっと耳を傾けていこうと思った。