Jules Gill-peterson著「A Short History of Trans Misogyny」

A Short History of Trans Misogyny

Jules Gill-peterson著「A Short History of Trans Misogyny

トランス女性に向けられる女性性に対する嫌悪や偏見を指す言葉としてジュリア・セラーノが『ウィッピング・ガール トランスの女性はなぜ叩かれるのか』で名指しした「トランスミソジニー」について、脱植民地主義な歴史学から分析する本。著者はトランス女性の歴史学者で、トランスジェンダー研究のジャーナルTSQの編集者もつとめる。

Kit Heyam著「Before We Were Trans: A New History of Gender」など多くの本にも書かれているように、トランスジェンダーやその重要な要素とされる性自認といった概念の歴史は浅く、時代的にも地域的にも限られたものだ。しかし近代の欧米社会が自分たちのキリスト教解釈に基づいた価値観にそぐわないとして野蛮・未開・不浄・罪・病気などのキーワードとともに下位に追いやり、迫害したり矯正・同化の対象としようとしたジェンダーやセクシュアリティのあり方の歴史を探ることで、現代のトランスジェンダーに繋がる系譜を知ることはできる。本書はそうしたアプローチをさらに逆転させ、近代欧米がトランスミソジニーを通して文化的な他者をどのように「トランス女性化」してきたか、という歴史を紡ぐ。

ここでいう「トランス女性化」はもちろん、対象を現代社会でいうところの「トランス女性」に変えていく、という意味ではない。ていうかそれをやっているのは近代欧米の植民地主義ではなく、性自認を性役割や性的指向からきっちり切り分け個人のアイデンティティにするという現代欧米社会に特有の珍しい考え方を通してより多様なジェンダーやセクシュアリティのあり方を単一化しつつある現代の欧米トランス&クィアカルチャー(アライ含む)による新植民地主義(トランス女性とは自称していなかったシルヴィア・リヴェラやマーシャ・P・ジョンソンを「非白人トランス女性の先駆者」と呼ぶことで彼女たちのラディカルな実践を形骸化するのもその一種)。歴史的な植民地主義による「トランス女性化」とは、インドやアメリカ大陸、その他の植民地において先住民の文化に存在していた多様なジェンダーやセクシュアリティの伝統のなかでも、とくに男性(とかれらが見なした人たち)の女性性を否定・処罰の対象とし、教育やその他の公共政策を通して廃絶を目指すと同時に、それらの存在を先住民文化が下等であり植民地主義を正当化する根拠としたことを指す。トランスミソジニーとはつまり、「トランス女性」というアイデンティティを持つ人に対する差別ではなく、植民地主義と白人至上主義やジェノサイドを正当化するために女性性を攻撃する政治的な道具であると本書は主張する。

トランスミソジニーと並んで著者が歴史的に再定義するもう一つの言葉は「トランスパニック」だ。ゲイパニックと呼ばれることもあるこの言葉は、トランス女性を殺害した犯人がよく裁判で「相手がトランス女性だとは知らずにデートしたが、トランス女性だと知ってパニックになり殺してしまった」と情状酌量を訴える法廷戦術から来ている。実際にはトランス女性だと知っていたケースや州法により「トランスパニックは情状酌量の理由とはならない」と決められている州でもこうした主張は行われ、しかもそれが有効だったりするため、トランス女性はシス女性としてパスできなければそれを理由にヘイトクライムの被害を受け、パスできてもやはりそれを理由にヘイトクライムの被害の責任を負わせられる。著者はこの概念を過去の植民地主義にも当てはめ、白人の植民者たちが植民地における多様なジェンダーやセクシュアリティ、とくにかれらが「男性」と見なす人たちの女性性の表現に対してパニックを起こしたかのように暴力をふるい、その責任を被害者に押し付けることをトランスパニックと表現する。

ここ最近メディアで目立っているいわゆる「トランス排除主義ラディカルフェミニズム」(TERF)は、歴史的にはトランスジェンダーのアイデンティティや性自認概念と同じくらい新しいものであり、決してトランスミソジニーの起源でも主体でもない、と著者は指摘したうえで、最後のまとめでトランスジェンダーの人たち、とくにトランス女性への最近起きている政治的な攻撃について取り上げ、極右的な政治勢力の行動に加担するTERFやトランスミソジニーに同調する一部のトランス男性(バック・エンジェルら)やトランス女性(ケイトリン・ジェナー)の存在にも触れる。さらに著者はトランスミソジニーやその植民地主義に対抗する思想や実践として、欧米的な性自認概念の外側にある南米のトラヴェスティたちや、彼女たちがトランスミソジニーによって標的とされる強調された女性性を肯定するムヘリシモ(超女性)の概念などを紹介し、反植民地主義的なトランス女性性を掲げる。誰にでも勧められる本ではないけれど、いろいろ刺激的でおもしろい。