Joshua Frank著「Atomic Days: The Untold Story of the Most Toxic Place in America」

Atomic Days

Joshua Frank著「Atomic Days: The Untold Story of the Most Toxic Place in America

マンハッタン計画の一部として長崎に投下された原子爆弾に使われたプルトニウムを生産したワシントン州南東部のハンフォード・サイトの歴史とハンフォード・サイトによって起こされた健康被害についての本。

チェルノブイリ、スリーマイル島、福島といった地名に比べて広くは知られていないものの、ハンフォードは世界で最も汚染された地域の一つ、そして現在進行系で世界で最もお金をかけた除染や事故抑止のための活動が行われている現場でもある。州内最大の都市シアトルからは少し離れているものの大きな事故が起きればアメリカ北西部全体が大きな影響を受けることは間違いなく、コロンビア川の下流に位置するオレゴン州ポートランドにとっては汚染物質の流出大きな懸念。

ハンフォード・サイト建設のためにもともとそこにあったハンフォードやその周辺の小さな街の住民たちは立ち退きさせられ、そのかわりに原爆開発のためにマンハッタン計画で働く科学者や軍人らが集まった。現在最寄りの街となっているリッチランドの住民の一部も立ち退きさせられたが、それ以上に多くのハンフォード・サイトで働く人たちが流入し、リッチランドの人口はマンハッタン計画の2年間で300人から2万5000人まで増加。いまでもリッチランドでは「原爆を作り第二次世界大戦を終わらせた街、アメリカを勝利に導いた街」としてのプライドが強く、街のいたるところで原爆やキノコ雲の意匠が見られる。

戦後、マンハッタン計画は解散させられたもの、ソ連とのあいだにはじまった冷戦のなか、さらなるプルトニウム生産と核開発の拠点としてハンフォード・サイトは稼働を続けたが、周囲に広がり始めた健康被害や、放射性廃棄物を冷却保存するためのタンクが足りずにタンクに許容上以上の廃棄物を入れたり、事故でそれらが流出したり、ときには薄めて違法に施設外に放出するなどの事実は隠蔽された。それらは環境活動家や平和活動家、先住民運動やメディアなどによって年々明らかにされてきたものだ。わたしの知り合いにもリッチランドの近くで1960年代に育った人がいるが、彼女は十代で珍しい癌にかかって治療を受けたことがある。もちろんそれがハンフォード・サイトと関係があるか証明することは難しいが、彼女によると同じような経験をした若い人が大勢いるという。

ハンフォード・サイトの原子炉は1971年を最後に停止されたが、施設の地下トンネルには大量の高温の放射性廃棄物がタンクの中で煮えたぎっており、現在でも1万人を超える職員が除染や廃棄物の管理で働いている。これらの廃棄物はこれから数百年、あるいは数千年にわたって冷却を絶やさず、経年劣化するタンクを移し替えながら安全に保存していかなければならない。2017年にはトンネルの一部が崩壊する事故があり、結果的に放射性物質の流出は起きず現場にいた作業員以外には被爆の危険はないとされたが、あの時はわたし自身非常に危機感を感じて気象予報サイトなどで風向きなどを確認していた。

いま気候変動問題への解決策として、化石燃料を使わない原子力発電が再評価されつつある。核兵器開発と原子力発電は異なるという意見もあるが、放射性廃棄物の問題は共通しているし、その保存施設が安全保障上の弱点となる点や、その安全保障を口実とした隠蔽体質も共通している。ポートランドとシアトルに長年住んできたわたしにとっては身近だけれど北西部に住んでいない多くの人たちには知られていないハンフォードの危険について、あらためて周知されてほしい。