Catherine Bracy著「World Eaters: How Venture Capital is Cannibalizing the Economy」
2012年にはオバマ選挙運動のテクノロジー部門を担当していた著者が、シリコンバレーだけでなくアメリカ経済全体に大きな影響を与えるようになったベンチャーキャピタルのビジネスモデルが資本主義を共食いし潰しつつあることを指摘する本。
資本主義の共食いの分析といえばNancy Fraser著「Cannibal Capitalism: How Our System Is Devouring Democracy, Care, and the Planet—And What We Can Do About It」を思い出すが、社会主義フェミニストであるFraserとは異なり、著者は資本主義やシリコンバレーの技術革新主義そのものに反対する立場ではなく、むしろ逆にそれらを守るためにベンチャーキャピタルの影響力を抑えようとする考え。
著者がまとめている通り、シリコンバレーのベンチャーキャピタルは確率は低くとも将来爆発的に市場価値を上げる可能性のある多数のスタートアップに早い段階で投資し、仮にそのほとんどが失敗に終わっても、ごく一部だけでも大成功すれば莫大な利益を挙げることができるというモデルを採用している。また、かれらが定義するところの成功とは、投資した企業が長期にわたって安定して事業を運営して利益をあげる(そしてその分配金を受け取る)ことではなく、株式上場するか第三者に売却するかで投資額の何十倍、何百倍もの利益を回収すること。その具体的な手法はペイパルマフィアの一員でもあるリード・ホフマンらが書いた「Blitzscaling: The Lightning-Fast Path to Building Massively Valuable Companies」(邦訳『ブリッツスケーリング 苦難を乗り越え、圧倒的な成果を出す武器を共有しよう』––そのサブタイトルなんやねん)に詳しいが、とにかく競争相手や規制当局が追いつかないうちに急速に規模を拡大し市場を占有することが重視され、一方で労働法やその他の法律や規制は無視される。
そうした戦略によって急激な拡大と市場占有に成功した例としてはタクシー業界や運輸業の規制を無視したuberやホテル業界の規制を無視したAirBnBなどが代表的だが、これらの企業は自らはあくまでプラットフォームであって運輸業や宿泊業を行っているわけではないとして、規制遵守の責任とリスクをプラットフォームを使う労働者やユーザに丸投げした。またかれらは、ブリッツスケーリングの理論に従い市場を占有するまでのあいだベンチャーキャピタルからの投資を使って料金を不自然に安く設定する(巨額の赤字を出し続ける)ことでユーザを増やしており、まともに利益をあげるために事業を行っている既存の業者は対抗しようがない。
こうしたプラットフォーム企業による労働搾取やリスクの押し付け、違法な事業展開などについてはこれまでにも論じられており(Jonathan Rigsby著「Drive: Scraping By in Uber’s America, One Ride at a Time」、Phil Jones著「Work Without the Worker: Labour in the Age of Platform Capitalism」など参照)実際にベンチャー企業の内部で働いていた人による本もいくつも出版されている(Benjamin Shestakofsky著「Behind the Startup: How Venture Capital Shapes Work, Innovation, and Inequality」など参照)。本書はそうした問題に加え、ベンチャーキャピタルが投資の条件としてブリッツスケーリングの戦略を必須条件としてしまっているために、急速な拡大や市場占有が難しいビジネスやそうした路線を望まない創業者たちが投資を受ける機会を奪っていることを指摘する。
uberやAirBnBをはじめブリッツスケーリングの成功例とされているものは、そのほとんどがプラットフォーム企業と分類されるものだ。これらの企業は直接的にはごく限られた人数の従業員だけを雇い、アルゴリズムを通してプラットフォーム上の売り手と買い手のマッチアップをすることをその事業としている。実際にはただの不動産ビジネスに過ぎなかったWeWorkがいかにもプラットフォーム企業の仲間のフリをして孫正義さんらを騙してソフトバンクを潰しかけたことに象徴的なように、リアルな事業との相性は良くない。もしuberやAirBnBが運転手を雇ったり民泊施設を契約したりして直接それらの事業を運営していたとしたら、とてもそれほど急速な成長は見込めなかったはずだが、プラットフォームを整備することだけが事業であればサーバを増強すればすぐに世界中に市場を拡大することができる。レストランの料理を配達する人と家まで配達して欲しい人を結びつけるプラットフォームはベンチャーキャピタルの投資を受けられるが、実際にレストランを開いて調理・盛り付けを行い提供する事業は、それがどれだけイノベーティブであっても爆発的な市場価値上昇が起きようがない以上は投資の対象にはならない。その結果、世の中には労働者を搾取し、世の中に求められている商品やサービスを提供しようとするリアルな事業をしようとしている企業を圧迫するプラットフォームばかりが市場を拡大し、権力を握ってきている。
2020年にカリフォルニア州で可決された住民投票22号はプラットフォーム企業が権力を握った先がどうなるかを指し示している。カリフォルニア州ではトラック運転手を社員ではなく契約関係にある個人事業主として扱おうとした運輸会社が裁判に訴えられ、会社は運転手を社員として扱い最低賃金や労災保険などの保障を行うべきだという判決が出たが、これによりビジネスモデルが脅かされると考えたuberやLyftなどプラットフォーム企業がこれを覆すためのキャンペーンを行い、史上最もお金がかかった住民投票の結果、労働者の権利が奪われた。住民投票22号は運転手だけを対象としたものだったが、労働者を個人事業主として扱うことによって労働者保護を廃止することはプラットフォーム企業だけでなく大企業がかねてから望んでいたことでもあり、それまでなら社員として扱われていた労働者たちを個人事業主として扱うプラットフォームは看護師やシェフなどさまざまな業種に拡大しつつある。
本書がおもしろいのは、実際にベンチャーキャピタルから投資を受けたけれどもブリッツスケーリングの押し付けに辟易した人や、投資を受けた結果どうなるか理解して投資を断った人、ベンチャーキャピタルに頼らずにベンチャーを成功させようとした人たちらにインタビューしている部分。そうした例をあげて、ベンチャーキャピタルの言いなりにならなくてもイノベーションは起こせる、的に最後にはまとめようとしているんだけど、いやいやあなた、ベンチャーキャピタルはもはやイノベーションを後押ししているんじゃなくてむしろ食い潰しているというのがあなたの持論だったのでは?と疑問に思ったり。ベンチャーキャピタルにも役割はある、ただその影響力が増えすぎたのが問題なのだ、という著者のスタンスは、著者の個人的希望でしかないように思う。