Benjamin Shestakofsky著「Behind the Startup: How Venture Capital Shapes Work, Innovation, and Inequality」

Behind the Startup

Benjamin Shestakofsky著「Behind the Startup: How Venture Capital Shapes Work, Innovation, and Inequality

社会学者の著者がシリコンバレーのヴェンチャー企業で一年間働きながら参与観察して学んだことをまとめた本。このところテクノロジー企業がもたらした政治的な分極化やプライバシー侵害、メンタルヘルスの悪化、労働条件の劣化などに関心が集まっているが、本書はヴェンチャー企業での経験をもとに個々の企業やテクノロジーではなくそれを支えるヴェンチャーキャピタルの仕組みに注目すべきだと訴える。

著者がヴェンチャー企業の研究をしたのは大学院生時代。はじめはヴェンチャー企業におけるカルチャーを調査するつもりで「インターンとして無償で働くかわりに研究対象にすることを認めてくれ」という条件である企業に入ったが、そのうちにヴェンチャーキャピタルによって企業の戦略が左右されサンフランシスコの本社で働くエンジニアたちが高待遇を享受する一方でフィリピンやラスヴェガスで顧客の対応などその企業のビジネスを支える労働者たちが安く使い捨てにされていることに気づき、研究の方向性を変化させた。

著者が働いていたヴェンチャー企業は掃除や庭師、音楽レッスンなど地域においてサービスを提供している人たちとそうしたサービスを必要としている人たちを結びつけるプラットフォームを構築していた。客が必要とするサービスを入力するとそのサービスにマッチしている売り手に一斉に連絡が行き、売り手が客に料金やサービス内容などを返信することに一件あたりいくらで少額の料金を徴収するモデル。法的責任がややこしくなるので売り手と買い手のあいだの金銭のやり取りには関わらず、双方をマッチングさせることで利益を得ようとするかたち。著者が潜入していた2010年代当時はまだ今のように大規模言語モデルによる人口知能が発達しておらず、またマッチングシステムの構築に割くためのエンジニアのリソースが足りなかったため、売り手と買い手のマッチングはフィリピンで働く女性たちが手動で行っていた。いわばフィリピンの女性労働者たちは人工的な人工知能もどきとして扱われていた。

フィリピンでは高学歴の女性たちの求職が少なく、とくに首都マニラに集中しているため、多くの女性たちが看護師やその他のケア労働者として海外に移住したり、物価の高いマニラに出て苦労して暮らしている。それに対しこの企業は、自宅からインターネットを通して働くことができ、彼女たちにとっては他より良い条件で働けることもあり、多くの労働者に歓迎された。彼女たちの仕事は、売り手と買い手をマッチングさせるだけでなく売り手の自己紹介ページを校閲したり不適切なコメントを削除するなどの間接的な感情労働を含んでいた。彼女たちは市場上場してユニコーンになることを目指すヴェンチャー企業の一員としての誇りを持ち、常に明るく楽観的な視野を持つよう期待されたが、契約社員であるフィリピン人女性労働者たちと、ストックオプションなどの形で会社の成功の分け前にありつける立場にある大半が白人男性であるサンフランシスコ本社の正社員たちとの立場の違いは明らか。グーグルなどの企業文化に習いサンフランシスコ本社では一流のシェフが雇われ毎日豪華な食事が無償で提供されたが、もちろんフィリピン人女性たちはそうした恩恵にもありつけなかった。

サービスに不満を持つユーザの応対など難しい顧客対応をする仕事も最初はフィリピン人女性たちに振り分けられそうになったが、電話での応答においてアメリカの消費者たちがタガログなまりのある英語を話すフィリピン人女性を嫌うことがわかったため、顧客対応の拠点はラスヴェガスに置かれた。ここでも多くの女性たちが契約社員として採用されたが、彼女たちの時給は最低賃金すれすれで、フィリピンほど高学歴かつプロフェッショナル指向の労働者は集まらなかった。そのためサンフランシスコ本社では「与えられた仕事に感謝して大人しく仕事をするフィリピン人と、機会があればサボろうとし要求ばかりしてくるうるさいアメリカ人(多くは黒人やラティーナ)」というかたちでアジア人と黒人やラティーナに対するステレオタイプが大っぴらに語られた。

著者がこの会社に加わったのは、会社がヴェンチャーキャピタルからの最初の投資を受けた直後。從來のビジネスであればリソースの範囲で小さくはじめて利益が出るようになってから徐々に地域やサービス範囲を広げて成長させていくところだが、ヴェンチャーキャピタルが求めるのはそうした堅実な経営ではない。フェイスブックやウーバーなどの前例を見れば分かるようにヴェンチャーキャピタルによる投資は、あらゆる手段を使って凄まじいスピードで拡張して市場を支配し、それによって企業価値を急激に高めて他の投資家に売り渡すという戦略を取る。投資先の企業のほとんどが途中で潰れてしまったとしても、そのうちごく一部でもウーバー級の成功をおさめれば十分に利益が出る、という見込みにより、利益を出すことより市場の独占を最優先した経営戦略が実行される。

また、サイトのデザインからサービスの内容・料金まで常にいくつものA-Bテスト(ユーザをランダムでいくつかの群に振り分けてそれぞれ異なるインターフェイスやサービスを提示することで、どこをどう変えればリアクションを増やせるのかリアルタイムで実験すること)を走らせ、目先のエンゲージメント向上のためにサイトのデザインやサービス内容がコロコロ変更される。その結果、混乱した顧客をなだめたり、それまで生活基盤として依存し人生計画の前提としていたサービスを削除された顧客(たとえば月ごとの定額制サービスが廃止され個々のメッセージに課金されるようになったこと)に怒鳴られ脅されるのはラスヴェガスの女性労働者たちであり、安易にサービス内容を変更するサンフランシスコの幹部ではない。上でサービスがコロコロ変わるのにフィリピンやラスヴェガスで働く女性労働者たちにはろくにそのことが説明されず、また彼女たちがログインして使う社内用のシステムのバグは後回しにされ修正されない。

フェイスブックにしろウーバーにしろ、労働条件の悪化や政治的対立の深刻化などテクノロジー企業によるさまざまな弊害が注目を集めているが、著者によればそれらの問題の本当の原因は、「数撃ちゃ当たる」的なギャンブル的な投資、堅実な成長ではなく急速な拡大と市場独占、そしてその上での株の売り抜けを目指すヴェンチャーキャピタルのあり方にある。ウーバーは起業いらいごく最近まで長年赤字を垂れ流し続けたし、著者が研究のために潜入した会社も一切利益をあげていないにも関わらず、株価を高騰させ売り抜けることを目指すヴェンチャーキャピタルによって無茶な拡大が進められ、労働者や売り手・買い手双方の顧客を翻弄するとともに、健全な競合プラットフォームの登場を妨害してきた。

本書はまた、社会学者による参与観察の倫理をめぐるおもしろいケーススタディにもなっている。著者ははじめ大学院生として無償のインターンとして内部を観察することを求めたが、著者自身が有名私立大学に通う白人男性であったこともあり、同じように高学歴だったりエリート大学を中退してヴェンチャー企業に就職した人たちにすぐに受け入れられただけでなく、発射される寸前の宇宙ロケットに乗り込んだのにどうしてロケットを降りて外から眺めることを選ぶのかとか、どうせ君も少し働けば中退してうちの会社に残るよ、と言われたりした。当初の計画では著者は数ヶ月のあいだパートタイムでインターンをする予定だったが、会社はかれにフルタイムで働くよう勧誘、それまで学部のアシスタントとして薄給で働き苦しい生活をしていた著者にとっては思いもしなかった高額の給料を提示される。正式に大学から猶予をもらい給料を受け取って一年間働くことになった。同僚たちも最後の最後まで著者が大学院を中退して正式に入社すると思っていたみたいで、著者自身も研究者としての給料とヴェンチャー企業の初期社員として得られる利益を比較して悩んだけれども、やはり研究者の道を進みたいと思い直し一年で退職した。

参与観察のなかで研究者が他の労働者とならんで仕事をし給料を得ることは珍しくないものの、この場合著者は小さなサンフランシスコ本社の一中間管理職的な立場で創業者と頻繁に交流するなど大きな地位を得てしまい、またストックオプションを与えられることで会社の成功に現時点の生活費だけでなく将来の財産が結び付けられてしまった。フィリピンやラスヴェガスの女性労働者たちの労働条件を改善しようと助言したり、部下を解雇すべきか悩んでいる同僚から相談を持ちかけられるなど、さまざまな形で経営に対して介入してしまい、研究者としての一線を踏み超えてしまったのではないかと考えたりも。研究者の倫理と自分を雇っている企業への義務、中間管理職として労働者や社会に対して感じる責任などについて著者があれこれ考えたことも率直にかかれており、考えさせられる。

今ほどテクノロジー企業に対する批判的な世論がなく、むしろオバマ現象や「アラブの春」によりソーシャルメディアの良い影響が注目されていた2010年代前半だからこそ可能だった、あの時代にしかありえなかった研究だけれど、著者が指摘するヴェンチャーキャピタルの社会的害悪はいまも変わっていない。