Carmen Best著「Black in Blue: Lessons on Leadership, Breaking Barriers, and Racial Reconciliation」

Black In Blue

Carmen Best著「Black in Blue: Lessons on Leadership, Breaking Barriers, and Racial Reconciliation

現在次期ニューヨーク市警察署長の最終候補の1人にあがっているとされる、元シアトル市警察署長の著者による本。黒人女性としては初のシアトル警察のトップとしてコミュニティに期待されながら就任し、白人男性が大多数を占める警察組織において女性や非白人のあらたな警察官の雇用を増やしたが、2020年に起きたブラック・ライブズ・マター運動のデモに対して連日催涙弾の使用など強硬手段を取って批判され、急進的な警察改革を求める市議会と対立して辞任。

前半は、生徒会長に立候補して惜しくも落選した高校時代から、米軍に入隊して世界各地に派遣され異なる文化に触れ多様性の大切さを学んだことなどを通して、著者がリーダーシップと社会的公正の考えをどう獲得してきたか綴る。とはいえ「違いを尊重しあい多様性を認める」ことを学んだ例として出されるのが、軍隊内である人がほかの人に人種差別的な発言をした際、差別された人ではなく差別した人の側に立って「そんなに差別だと怒らずに相手の立場を理解しろ」と言った例だったり、韓国の米軍基地に派遣されて学んだ「尊重されるべき異文化」の実例が韓国社会の女性差別だったりと、多様性やリスペクトという言葉を使いながら判断基準がおかしい気がする。

後半は彼女が軍を除隊後警察官になり、女性としては初のシアトル警察署長だった先輩の白人女性に助けられ、署長になった経緯や、署長として経験した困難、とくにBLM運動への対応と市長や市議会とのやり取りなどについて書かれている。前任者が退任したあと、著者は何ヶ月ものあいだ署長代理の任務を果たしていて、有力な次期署長候補と目されていたけれども、市長は彼女を後任に指名しないことを発表。それに対して彼女は既に任務をきちんと果たしている、黒人女性に対する差別ではないかという反発がコミュニティから湧き上がり、最終的に市長は自身の決定を覆し彼女を署長に指名した。このとき彼女の就任を支持していた人の多くは、数年後にBLMデモで彼女が指揮する警官隊と毎晩衝突したアクティビストたちだった。

BLM運動をめぐって著者は、自分も黒人女性としてBLMの目的は支持するし、自分の母親や娘もBLMデモに参加していた、とする一方、一部の犯罪者たちがデモを乗っ取り暴動や放火・略奪を起こしたと書いている。シアトルではBLMデモの2日目に一部で暴動があり、パトカーが放火されたりダウンタウンの店が略奪の被害にあったりしたけれども(実際に参加した人がわたしのところにも盗品を売りに来たw)、その後起きた問題のほとんどは警察とデモ隊の衝突か、デモに対する右派や白人至上主義グループの襲撃だったのだけれど、彼女の記述を読むと警察の行動は常に正しく、警察による市民への暴力は全て仕方がない必要悪だったということになってしまっていて、わたしが目撃した事実とは大きく異る。著者はミネアポリスで起きたジョージ・フロイド氏の殺害については厳しく糾弾するけれども、シアトル市警が殺害した多くの黒人たちの存在については一度も触れない。

2020年6月に、約2週間にわたってシアトル市警東分署があるキャピトルヒル地域でデモと警察が衝突を繰り返し、近隣住民は連日警察が使用する催涙ガスを浴びながら生活していたが、ある日警察は東分署の外壁を木の板で補強したあとキャピトルヒルから撤退した。これが有名になった「キャピトルヒル自治区」のはじまりだけれど、この撤退を誰が決め、命令したのかはその後ずっと謎だった。警察署長である著者は当時、市長がBLM活動家におもねって勝手に撤退させたのだろうと思い込んだけれど、市長は署長が判断したのだと思っていた。このあたりの政治的な力関係を知っている人から見れば、これは市長や警察署長のような表の指揮系統ではなく、警察官組合による非正規な権力奪取であったように見えるのだけれど、もちろん著者はそういう説には触れていない。

著者は当時、キャピトルヒル自治区において犯罪や暴力が頻発していたかのように記者会見で発表していたけれども、のちに記者会見の内容はウソであったことが判明している。むしろ、なにか問題が起きたときに警察に通報するのではなく、周囲にいる人たちが力を合わせて介入するパターンが繰り返されていた。大きく報道された「自治区における銃撃事件」は内部ではなく外から車で接近した人によって自治区にいた人が撃たれたり轢かれそうになった例だし。

BLM運動は市への要求の一つとして、シアトル市警察予算の半減を主張した。著者が執拗に説明するとおり、警察のような連邦・州・市の法律や組合との協定でガチガチに組み上がった組織でいきなり予算を半減することは不可能で、まあ推進している側もそれをわかったうえで、はじめから1割減とか現実的なことを言ってもそこから交渉して最終的に3%減とかになっちゃうんだろって思うから半減しろと言っているわけだけど。ところが著者は半減するというのが単なる「最初の要求」ではなく、予算半減が政策として実際に実現されようとしていた、それは無茶だと説明しているのに自分が黒人女性だから市議たちに話を聞いてもらえなかった、という話にしている。警察予算削減に積極的な市議たちは全員が女性で、1人を除き全員が非白人だったことも伏せている。

署長として著者は女性や非白人の警察官の採用を積極的に進めたのだけれど、市と警察官組合の協定において人員を解雇する際はキャリアの浅い人から順番ということになっている。つまり警察予算を減らそうとしたら、より最近雇用された女性や非白人の警察官たちを多く解雇しなくてはいけない。女性や非白人の採用は彼女がシアトル警察署長として推し進めた一番の改革であり、せっかく雇った女性や非白人の警察官たちを自分の手で解雇するのは耐えられない、というのが、彼女が辞任した理由だった。

わたし自身シアトルの活動家として、彼女の署長就任は歓迎したし、彼女が警察組織のさまざまな問題を解決できなかったことを彼女個人の問題だとは思わない。オバマが大統領になったからといってかれがアメリカ社会の人種差別をなくすことができないように、黒人女性である著者が署長になったところで警察組織の問題がすぐに解決できるはずもない。彼女がコミュニティと警察官組合に代表される警察内部の白人至上主義的・マッチョ指向的な要素とのあいだに挟まれて苦労したことは容易に想像できる。でもこの本では警察内部の問題について「どんな職業の人にも人種差別主義者や性差別主義者はいる」と一般論で済ませたり、リーダーシップを育てるのも差別思想を植え付けるのも「家庭だ」と全ての責任と役割を家庭に押し付けてしまうあたり、結局彼女は署長を辞めたいまも警察組織の全体主義から逸脱することはできないんだなあと残念に思う。あとNYPDはシアトル市警どころじゃない白人男性集団だからやめたほうがいいとおもうよ…