Anthony Fauci著「On Call: A Doctor’s Journey in Public Service」

On Call

Anthony Fauci著「On Call: A Doctor’s Journey in Public Service

40年近くのあいだアメリカ国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)の所長としてHIV/AIDS、炭疽菌テロ事件、エボラ、SARS、ジカ、そしてもちろんCOVIDに至るまで感染症に対する研究と臨床を指揮したファウチせんせー待望の自叙伝。長い本だし、わたしが紹介しなくても他の人がいくらでも紹介するだろうし、近いうち世界中で翻訳版が出版されるだろうからわたしが紹介しなくてもいいかな、とも思ったけど、やっぱり読みたくなって読んで正解。

自叙伝なのでブルックリンのイタリア系アメリカ人家庭に生まれ育った子ども時代の話から始まるのだけれど、成績優秀でスポーツ万能、ケンカも強いみたいなエピソードがすごいスピードで進んで、あっという間に医学大学院を首席で卒業。主人公すぎない?当時アメリカではヴェトナム戦争の最中で、医学生たちは軍に入隊するか公衆衛生医として政府機関に勤務するか求められ、在学中に感染症研究に興味を持った著者はNIAIDに。

NIAID内で順調に出世していた著者のキャリアの転機となったのは、1981年に医学新聞に掲載されたいくつかの報告。それは一部の都市の若い男性たちのあいだで通常なら若い健康な人たちが発症することのない珍しいタイプの肺炎や癌が広まっているというもので、患者はみなゲイ男性だった。のちにAIDSと呼ばれることになるこれらの症例について知った著者は、状況からこの病気が性感染症であること、まだその時点では患者は少なかったものの爆発的に感染が拡大する可能性があることに気づき、それまで自分が担当していた研究を全て降りてこの新しい感染症の研究に全力で取り組むことになる。当時すでにサンフランシスコやニューヨークのゲイ・コミュニティやそのメディアでは謎の病気の拡散が話題になっていたし、欧米で感染者が確認されるよりずっと以前からアフリカの一部では同じ感染症が広がっていたが、医学界による把握はそれよりかなり遅れていた。また当初「ゲイ関連免疫不全症」と呼ばれたこの感染症の対策には医学界も政治も消極的だった。

本書には著者がいかにAIDS患者に寄り添おうとしたか、次第に過激になりAIDS研究の代表者と目された著者を攻撃するACT-UPなどのHIV/AIDS活動家たちと対話し、かれらから学び、意見を聞き入れようとしたか、ということが書かれているが、こうした記述はSarah Schulman著「Let the Record Show: A Political History of ACT UP New York, 1987-1993」やPeter Staley著「Never Silent: Act Up and My Life in Activism」にも書かれているように、当時かれとやりあった、そして友情を育んだHIV/AIDS活動家たちの証言と一致する。あとから見ると活動家らによる著者への批判には的外れなものや誹謗中傷的なものもあったけれど、それでも仲間が次々と亡くなるなかで生きようと必死になっている当事者たちの声に耳を傾け続けた著者の姿勢は尊敬できる。

また本書は、著者がレーガンからはじまりブッシュ41st、クリントン、ブッシュ43rd、オバマの各政権においてさまざまな感染症の対策やバイオテロリズムへの備えをめぐりどのような助言をしてきたのか、それぞれの政権でどういう人たちと協力したのか、という話が読めるのも魅力。政治的な違いはあれど感染症はどの政権にとっても真剣に取り組む問題として扱われてきていたことが分かると同時に、COVIDへの対応を政治化したトランプ政権の異常さが明白になる。科学者としての立場を貫き政治に関わらないように気をつけていた著者だけれど、トランプがあまりにCOVIDについてデタラメなことを発言するので訂正せざるを得なくなり、そのたびにトランプを陥れようとするディープステートの代弁者だと右派メディアに叩かれる。トランプ自身も集会やツイッターで著者を攻撃したりするのだけれど、その後かれから電話がかかってきて、「俺もお前もやるべきことをやればいい、まだ仲間だよな?」と聞かれたって話とか、怖すぎ。

トランプ政権の内部でもCOVIDについてのデマを止めたい人とむしろデマを扇動している人がいたらしく、後者のグループが著者のスキャンダルをでっちあげて怪文書をメディアに流したりしたせいで、著者本人や家族に対する脅迫や殺害予告が来たり、炭疽菌か猛毒のリシンの可能性がある白い粉入の封筒が送られたりして、ボディガードが付けられたりも。2020年大統領選挙でバイデンが当選してようやくまともなCOVID対策が出来るようになったと思ったら、右派メディアやトランプ側近による著者への攻撃はさらに加速し、COVIDを起こすSARS-CoV-2ウイルスを作成した(とかれらが主張する)中国の研究所には著者からの資金が流れていた、著者自身がSARS-CoV-2の製造責任者だ、というデマまで拡散される。

かつて仲間を奪われた怒りと恐怖から著者を攻撃したHIV/AIDS活動家に歩み寄ったように、医学によって人体実験や優生主義の標的とされたり患者としての存在を無視された黒人らが政府やNIAIDのCOVID対策を信用しないことには著者は理解を示すが、そうした正当な理由もないのに科学や科学者を攻撃しデマの拡散を通して感染症の拡大に加担する陰謀論者たちには著者は厳しい。まあ当たり前。しかし著者が当時はまだ社会的理解を得られていなかったゲイ・コミュニティに対してなんの偏見もなく歩み寄り対話し、そこから得た知識や経験がCOVID対策に生かされて多くの人の命を救ったことは確かで、不幸なパンデミックのなか著者がそれ以上の昇進を拒みNIAIDの指揮を長年取ってくれたことは幸運だった。

本書の目玉であるHIV/AIDSとCOVIDに関連する部分に注目して紹介したけど、その他の部分もめっちゃおもしろいので、長い本だけど全部ちゃんと読んで。著者は本書で公衆衛生のために尽くしてきた自分のキャリアを語ることを通して、公共のために仕事をすることの素晴らしさを伝え、若い優秀な人たちにそうしたキャリアを考えるよう訴えており、多くの人たちにかれの訴えが届くよう願う。