Stephen Breyer著「The Authority of the Court and the Peril of Politics」
1994年にビル・クリントン大統領によって最高裁判事に任命されたスティーヴン・ブライヤー判事の本。もともとは講演の原稿として書かれたものらしく、短くて内容も薄い。歴史を軽くおさらいしながらかれがとにかく力説するのは、立法府のように予算を握るわけでもなく、行政府のように執行権限があるわけでもない最高裁判所が、それでも議会や大統領の違憲行為を止めることができるのは、歴代の最高裁が政治的意図によらず法をもとに判断してきたことで国民の尊敬を集めたからだ、ということ。いま一部の民主党支持者が主張しているような最高裁の拡大やその他の改革は、最高裁を政治化し、その権威を成り立たせている前提を崩してしまうので慎重になるべきだ、と言うんだけど、まあそんな前提はとっくの昔に(主にミッチ・マコネルによって)バラバラに崩されているように思うんですけど!
ブライヤー判事は最高裁判事をそもそも保守派とかリベラル派と分類するのは間違いだ、それぞれ強く信じている法理論はあるけれどそれは政治的な保守やリベラルの軸ではない、というけれど、たとえばIan Millhiser著「The Agenda: How a Republican Supreme Court is Reshaping America」に書かれていたように、同じ判事がある日は(保守派が支持する)政府の規制を肯定するためにある論理を採用し、その翌日には(保守派が支持しない)政府の規制を否定するためにその同じ論理は間違いだと判決を下した例があるなど、法律論ではなく政治的な好き嫌いで左右されるケースも多いように見える。ブライヤー判事には「最高裁はこうあるべきだ」という理想があるのだけれど、現実がその理想から既にかけ離れてしまっているのに、未だにそれを認めていない感じ。
来年の中間選挙で民主党が上院を失う可能性があるなか、いま83歳のブライヤー判事に対してリベラル派の多くから「バイデン大統領が指名する最高裁判事が承認されるように、いまのうちにブライヤー判事は引退すべきだ」という声があがっている。もし民主党が上院を失ったあとブライヤー判事が亡くなった場合、2016年にスカリア判事が亡くなりオバマ大統領がメリック・ガーランド判事を指名したのに上院共和党が審議を拒否して妨害したように、ふたたび共和党の妨害によってバイデン大統領の指名する後任が承認されない可能性がある。それを防ぐためにブライヤー判事が自ら辞任するよう多くの人が求めているのだけれど、「最高裁は政治化されるべきではない、現に政治化されていないし、これから政治化しようとする動きには抵抗すべきだ」と主張する(それ自体、現実逃避という政治なんだけど)かれがそれを受け入れる可能性は無さそう。こうなるともう、民主党に上院を維持してもらうしかないよ…