Sophie Lewis著「Enemy Feminisms: TERFs, Policewomen, and Girlbosses Against Liberation」
女性の解放を掲げながら一部の女性だけの地位向上のために他の女性を犠牲にする「敵性フェミニズム」についての本。著者は「Full Surrogacy Now: Feminism Against Family」や「Abolish the Family: A Manifesto for Care and Liberation」で社会的再生産主義フェミニズムをリードしてきた人。
本書が「敵性フェミニズム」と呼ぶのは、植民地主義や反黒人主義を「女性の権利」を口実に擁護した19世紀の女性活動家たちからKKKやナチスによる女性解放を目指した女性運動家、売買春反対の立場から性労働者や移民女性の取り締まりを訴えた人たちや、軍や警察や企業の中で女性が出世すればそれらの暴力性が改善されると考えるフェミニスト、女性への暴力を口実に反ムスリム主義や反移民主義に傾倒し、女性を医療から守るために妊娠中絶の禁止を訴えたり、トランス女性の排除を進めるフェミニストまで、19世紀から現代までのさまざまなフェミニストやその運動。と言いつつ本文では「敵性フェミニズム」という言葉はほとんど使われておらず(序章だけ)、一般的には「白人フェミニズム」と呼ばれているものと重なる。
世の中にはフェミニズム的なレトリックを反フェミニズム的な主張に盗用したり、あるいは反フェミニズム的な論者が「自分の主張のほうが女性のためになる」という意味で口先だけでフェミニストを名乗ったりする人もいるけれども、本書で批判されている人や運動の多くはそうではない。本書に登場する人たちの多くは、フェミニストとしての別の側面ではまっとうな実績もあり、真剣に女性の地位向上や女性の解放を考えた結果、フェミニストのままファシズムやレイシズムなどのヘイトに流れ着いてしまった人たちであり、「あの人たちは本当のフェミニストではない」と切り離すことは難しい。だからこそ、フェミニストにとって本書が扱う「敵性フェミニズム」は単なる敵ではなく、自らと地続きの先にある、しかし決して相容れない思想や運動となる。
本書はまた、そうした19世紀から現代までの「敵性フェミニズム」が、植民地主義や人種主義、資本主義、監獄主義、反妊娠中絶、トランスフォビアといったそれぞれ個別の問題においてファシズムやヘイトに堕ちたわけではなく、それぞれがお互いと繋がりを持った一連の系譜であることを指摘している。だからこそ、アメリカにおける先住民フェミニズムや黒人フェミニズムによる白人フェミニズムへの批判の蓄積が、アメリカのフェミニズムにおいてトランスフォビアが主流となることを防ぐことにも繋がっている一方、ショーン・フェイが『トランスジェンダー問題』でも指摘しているように、イギリスのフェミニズムが植民地主義や人種差別を「愚かなアメリカの問題」として自らのものとして受け止めてこなかったことがトランスフォビアの蔓延に繋がってしまっている。ちなみにイギリス人のハーフでもある著者がイギリスのフェミニストは(ケニアやインドやスリランカのフェミニストを念頭に)先住民フェミニズムに耳を傾けるべきだと主張したところ、反トランス主義的な発言で知られるイギリスのフェミニストたちから「先住民って誰のこと?ケルト人?ゲルマン人?」と茶化すような反応があったという。彼女たちはイギリスが大帝国であった歴史を忘却してしまっているようだ。
やっぱり「敵性フェミニズム」という言葉はどうなの?という気はするけれど、過去と現代の白人フェミニズムがどのように繋がっているのか描き出し、インターセクショナルなフェミニズムによる反撃の可能性をEmma Heaney編「Feminism Against Cisness」を引きつつ「シスネスへの抵抗」として提示する。Feminism Against Cisnessの紹介にも書いたとおり、シスネスこそ「植民地主義や白人至上主義、奴隷制やジェノサイドを正当化するために自然化された性別二元制とそれに伴う性役割規範や女性差別を動員するメカニズム」であり、同時に現代の白人フェミニズムの拠り所の一つであり、全ての女性の解放を目指すフェミニストにとって最大の標的。
ちな5月に著者とイベントやります。詳細はそのうち。