Sarah L. Sanderson著「The Place We Make: Breaking the Legacy of Legalized Hate」

The Place We Make

Sarah L. Sanderson著「The Place We Make: Breaking the Legacy of Legalized Hate

かつて憲法で黒人の居住を禁止していた歴史があるオレゴン州在住の白人女性が、実際にその規則によって州外に追放された黒人男性について調べていくうちに、地元の名士だった自分の祖先たちがかれの追放に直接関わっていたことを発見し、法に守られた人種差別の歴史と自分自身の中にある白人至上主義と向き合っていく本。とにかくすごいとしか言いようがない。

著者の家族はオレゴン州ポートランド近郊のクラカマス郡に代々住んできた家系。一時期ほかの土地に住んでいたけれどもポートランドに戻ってきた際、オレゴン州は全国で唯一黒人の居住を禁止する法律を制定していた過去があることを知り、オレゴン州における人種差別の歴史についてもっと知ろうと思い、実際にその法律が適用され州外に追放された知られている限り唯一の黒人男性、ジェイコブ・ヴァンダープール氏について調査をはじめる。と同時に自分の祖先に奴隷を所有していた人がいたという話を思い出し、自身の家系についても調査をしたところ、奴隷を所有していた一族だけでなく、ヴァンダープール氏を告発して追放に追い込んだ白人男性も自分の祖先の一人であることが判明した。

ヴァンダープール氏はカリブ海出身の移民で、黒人とその他の人種のミックスだった。当時カリブ海のリーワード・アンティル諸島にはオランダの植民地があり、かれの名前がオランダ系なのはおそらくそのため。ニューヨークに妻子を残したままオレゴン街道を通ったヴァンダープール氏は、1850年にオレゴンではじめて白人たちが作った街であるクラカマス郡オレゴン・シティにたどりつき、そこで宿屋を経営しながら妻子を呼び寄せる準備をしていた。ところが近くで別の宿を経営していた白人男性(著者の祖先)が商売敵のヴァンダープール氏は黒人との混血でありオレゴンに居住する権利がないはずだと告発し、その宿の豪華な客室に住まいを構えていた判事によってヴァンダープール氏の追放が決定される。

さらに調査を続けたところ、当時オレゴン・シティの有力者の一人であり、西海岸で初の教会と大学を創設した著名な牧師も著者の祖先であることがわかった。1850年頃のオレゴンではアメリカ合衆国の州に昇格するにあたって奴隷制のある奴隷州として加入するか、それとも奴隷制が禁止された自由州として加入するか議論されていたが、「奴隷制は認めないが自由な黒人の居住も認めない」という州憲法が多数の支持を得て制定された。著者の祖先であり地元の有力者である牧師は教会や大学を通して当時さかんに奴隷制反対の主張をしていたが、黒人の居住を認めないという条文に反対したという記録はない。奴隷であれ自由人であれ黒人の居住を認めない憲法案が白人男性有権者の賛成多数で可決されたとき、牧師は勝利を盛大に祝ったという。

また月曜から金曜までは大学で、土曜と日曜には教会でさまざまな話題について発言していたかれが、当時全国から注目を集めていたヴァンダープール氏の裁判について何か発言したという記録もない。積極的にヴァンダープール氏を追放しようとしていた宿屋の経営者とは関わり方は異なるものの、結果に影響を与えるだけの力があったにも関わらず沈黙を守った牧師もかれの追放に加担したと言える。実際、ヴァンダープール氏以外にも追放されそうになった黒人は何人かいたが、かれらにはたまたま力のある白人の仲間がいてかれらのために尽力してくれたおかげで追放は免れていた。このことを受け著者は、自分は奴隷に鞭を打ったこともなければ、黒人をリンチして被害者の遺体の一部を土産物にしたことも、首筋に膝を乗せて窒息死させたこともないけれども、牧師のように不正義に声を挙げず見過ごしたことがあるのではないか、と自問する。

またオレゴン・シティがもともとそこに住んでいた先住民のクラカマス族の人たちを立ち退かせて建設された土地であることも忘れてはいけない。かれらは伝統的なサーモン漁を禁止され、遠く離れた土地に言語も文化も違うほかのたくさんの先住民部族とともに強制移住させられたが、政府間条約で約束された補償金の支払いの大部分は反故にされた。著者の四世代前の祖先が住んでいた家があったオレゴン・シティの土地は先住民が伝統的に使っていた埋葬地の跡であり、またヴァンダープール氏の追放を命令した判事がクラカマスの人たちの権利を反故にする判決を下していたように、先住民からの略奪や追放と黒人の迫害の歴史はオレゴンの、そしてアメリカの歴史の中で深く繋がっている。オレゴン・シティの創設者やヴァンダープール氏を告発した宿屋経営者、かれの追放を命じた判事らは現在でもオレゴン州議事堂にある「オレゴンの歴史」の展示のなかで先駆者として記念されているし、かれらの名前が地名や道路の名前などにいまも残っている。

こうした貴重な歴史的調査とともに本書が優れているのは、著者が自分の祖先を含めた過去の人種差別の歴史を掘り起こすだけでなく、キリスト教徒としての信仰を基盤として、現代も続く制度的な人種差別や自分やほかの白人たちが内面に抱く白人至上主義に向き合い、その克服のために周囲の白人たちに呼びかけ続けていることだ。著者の夫は教会の牧師であり、著者が教会を通して人種差別に向き合うことの重要さを訴えると、大多数が白人のほかの信者たちから反発されることも少なくない。そのたびに著者はかれらを食事に誘い、人種差別について対話を試みる。人種差別の存在すら認めない相手にデータを提示すると「数字なんてどうとでも操作できる」と言われ、具体例を挙げても「個別例はなんの証明にもならない」と言われた著者は、「人種差別はある、なぜならわたしの心の中にもあるから」と、自分が無意識のうちに人種差別的なマイクロアグレッションを行ってしまった経験を具体的に語ることで、突破口を見出そうとする。

そうしているうちに著者はヴァンダープール氏はじめオレゴンで起きた人種差別やリンチの歴史を記憶するための活動をしているOregon Remembrance Projectや、19世紀にオレゴン州で生きた黒人たちの歴史を保存しようとしている団体Oregon Black Pioneersなどとも出会う。また、かつてヴァンダープール氏の宿屋があった一帯の土地はクラカマス族が所属するグランド・ロンデ部族連合が2019年に買収し、伝統的な植生を復活させ自然と共存するコミュニティを建設するためのプロジェクトが現在進んでいる。

わたし自身ポートランドで十数年住んだことがあり、文中に登場する地名や歴史的事実に個人的な思い入れがあることを差し引いても、白人が書いた人種差別についての本でここまで揺さぶられる経験はこれまでなかった。人種差別についてほかの白人(や非黒人)たちに教えようとするどんな本よりも(某フラジリティ本とか、まじいらん)、自分や自分の祖先が人種差別に加担してきた事実を掘り起こしていくスタンスがすごいし、自らの失敗談や心のなかにある偏見をただ告白するために告白するのではなく本当の意味で向き合い世の中を変えていくために共有していく姿勢には学ばされる。わたしはキリスト教徒ではないので宗教的な部分は共有できないものの、強い信仰に動機づけられた著者のことが少し羨ましくなるくらい。白人(や日本のマジョリティである日本人)たちには超おすすめしたい。