Robin Steinberg著「The Courage of Compassion: A Journey from Judgment to Connection」
公選弁護人として長年活動してきた著者がアメリカの刑事司法の不公正さとともに、罪を犯してしまった人たちに共感的に向き合うことの大切さを訴える本。
ブロンクスで弁護士を雇うお金がない刑事被告人を公費で弁護するための事務所を設立し、オクラホマ州では子どもを持つ母親たちのための同様の団体を組織、現在では保釈金を支払えないために有罪判決を受けたわけでもないのに勾留されている刑事被告人たちを保釈するためのファンドを運営している著者。彼女が弁護する人たちは、不幸にも無実の罪で起訴されてしまった人たちだけでなく、ドメスティックバイオレンスや性暴力のような許しがたい罪で捕まった人たちも含まれている。いかに間違った告発から被告の権利を守るためとはいえ、たとえば性暴力の被害を訴える人を反対尋問で追い詰めるシーンなど、わたしにとっては読んでいて辛い部分もあったけれども、どのような罪を犯した人でも一人の人間として尊重し、かれらの犯罪の背景にどのような状況やトラウマがあったのか知ろうとする著者の姿勢は尊敬。
著者の子ども時代は、衝動的な行動を取ることから仕事が長続きせず時に長期に渡って失踪する父親のおかげで波乱の連続だった。のちに両親は離婚し、父親は麻薬への依存を深めたあげく路上で遺体として発見されたが、彼女にとっては問題はあっても愛する父親だった。自分が公選弁護人として罪に問われた人たちを弁護するのは父親を救えなかったことの代償だという解釈は否定するものの、さまざまな問題を抱えた父親のような人にも愛し愛される家族がいて人間として尊重されるべきだという考え方は父との関係から生まれたものだ。
母親への悪口を隠すために無実を証明する証拠を消してしまう少年、有罪を認めたらすぐに釈放されるのに認めず何年も刑務所に行く父親、医師に言われるまま障害のある子どものリハビリをしていたら虐待だとして逮捕された母親、犯罪を犯したことは認めているのにトラウマのせいで動機をどうしても言語化できない被告など、著者が請け負ったさまざまなケースを通して、刑事司法制度が真実を追求するわけでも適切な責任を負わせようとするわけでもなく、弁護士と検察官がスコアを競うゲームのようになっている現状を指摘。著者は、政府の強大な権限と資金を使える検察に対し私費で弁護士を雇うことができない多くの刑事被告人たちにとって不利なゲームのルールを変えようと奮闘する。刑事司法制度が現実にどう作用しているのか、被告と一緒になって長年戦ってきた弁護士ならではの視点から説明してくれる本。