Dorothy Roberts著「Torn Apart: How the Child Welfare System Destroys Black Families—and How Abolition Can Build a Safer World」

Torn Apart

Dorothy Roberts著「Torn Apart: How the Child Welfare System Destroys Black Families—and How Abolition Can Build a Safer World

過去20年以上にわたり社会政策や黒人女性が置かれた状況についての著作が大きな影響を与え続けている社会学者にして法学教授の著者が、児童福祉制度における人種差別について扱った「Shattered Bonds: The Color Of Child Welfare」以来20年ぶりに再びこの問題について取り上げた著作。実はわたし、この本が2022年に出版されてすぐに紙の本を頂いていたのだけれど、読み始めたところ内容が精神的にキツそうなので後回しにしていた(ごめんなさい)ところ、先月著者がワシントン大学で行われたシンポジウムで基調講演をしているのを聞きに行って「これはちゃんと読まないと」と反省して読んだ。

アメリカにおける児童福祉制度はもともと親を亡くした白人の子どもを養育するための仕組みとして発達した。その歴史のなかでは、環境の悪い孤児院に入れられて強制労働をさせられたり虐待を受けた子どもや、人手を必要としている農家に大勢の子どもが「養子」として送り込まれて労働力として搾取されるなどの問題もあったが、やがて貧困にあえぐ家族に経済的な支援をするとともに、家庭内における虐待やネグレクトにあった子どもを取り上げ一時的に里親に預けさせたり養子にしたりする制度になった。いっぽう黒人の子どもたちについては奴隷制の時代、そもそも血の繋がった家族の一員ではなく所有者の財産の一部として扱われ、所有者の都合によっては家族をバラバラに売り払われたりもしたが、そのことが逆に子どもを血の繋がった両親だけでなく周囲にいる黒人の大人たちが一緒に面倒を見る文化に繋がり、奴隷制解放後も親が亡くなったりして面倒を見きれなくなった場合、公的な里親制度や養子制度に頼らずに、親戚や近所の人たち、教会などの繋がりのなかで子どもを育てるのが一般的だった。

公民権運動によって人種隔離政策が撤廃されると、貧困家庭に対する支援などもすべての人種に適用されるようになったが、同時に「福祉は怠慢な黒人を甘やかすもの」といった偏見も広まり、貧しい家族を支えるための経済的支援は打ち切られていく。また同じ時期、黒人をターゲットとして犯罪に対する厳しい政策が次々と採用され薬物使用に対する取り締まりが強化されると、黒人家庭や黒人のコミュニティは破壊され、政府の支援が削られると同時に共同体的な子育てを行う余裕も失われていった。その結果、子どもの育成に不適格として児童福祉制度によって介入され子どもを奪われる家族の多くは虐待ではなく貧困の結果としての「ネグレクト」が原因であり、とくに黒人のあいだでは大多数がそれにあたる。すなわち、貧困のために十分な栄養のある食事を与えられない、暖房をつけられない、子どもの人数に対して部屋の大きさが足りない、衣服のサイズや種類が不適切、親が仕事に忙しくて子どもの面倒を見られない、などだ。

いったんネグレクトがあるとして通報されると、貧しい黒人の家庭がそこから逃れるのは難しい。本書でもふとした誤解や一時的なミスなどが原因で児童福祉制度によって子どもを奪われ、なんとかして子どもを取り返そうとして福祉制度によって要求されるさまざまな条件を満たそうと必死になるも、条件を満たしたはずなのにまた別の条件を付けられるなど理不尽な理由で子どもを失ってしまう母親たちの実体験が多数紹介されている。わたし自身、性労働をしているホームレスの女性たちの支援活動に関わるなか、児童福祉員が黒人女性や先住民女性の母親たちに理不尽な要求をしたり嘘をついたり暴言を繰り返すのを何度も目撃しているので、本書の指摘にはとても納得がいく。

また、虐待やネグレクトから守るためとして家庭から連れ去られた子どもたちは、多くの場合、政府から支給される養育費を目当てに多数の子どもを引き受ける里親に引き取られるが、そこが子どもたちにとって安全である保証はない。そうした里親は食事や衣服などといった面では基準を満たしているものの、ほかの子どもたちや里親の関係者によるいじめや暴力の危険はもとの家庭より高く、多くの子どもが脱走を繰り返し、また将来犯罪に関わったり人身取引の被害者となる可能性も跳ね上がることが多数の調査により示されている。児童福祉制度は子どもの安全を守るために必要とされているが、実際のところ子どもをより危険な状況に追いやっていると著者は指摘する。経済的な合理性だけを見ても、虐待しているわけではなく貧しいだけの家族に対して直接経済的な支援をしたほうがはるかに安く子どもの健全な成長をうながすことができ、また将来の犯罪やその他の問題の予防にもなるはずなのに、貧しい女性、とくに黒人の母親に対する偏見により、子どもを親から引き離す政策が優先されている。

過去20年以上にわたって著者は全国各地に招かれ、わたしの住むワシントン州でも州の児童福祉制度に対する集団訴訟を解決するための委員会に著者は9年間にわたって参加するなど、児童福祉制度を改善するためのさまざまな取り組みにに関わってきたが、その結果彼女は、児童福祉制度は害のほうが大きく撤廃されるしかない、という結論に至った。その背景にはもちろん、ルース・ウィルソン・ギルモアアンジェラ・デイヴィスら黒人女性たちが中心となって広めてきた監獄廃止論の影響がある。

監獄廃止運動は、すべての改革に反対しているわけではない。かれらが反対するのは、警察や監獄における問題を解決するにはより良い訓練や意識改革のためにとより多くの予算や権限を与え、結果的にそれらの権力と正統性を膨らませるタイプの改革だ。それらに代えて、逆に警察や監獄の予算や権限を削減し、監獄廃止という長期的目標に近づけるタイプの改革、すなわち「改革主義的ではない改革」(non-reformist reforms)には賛成の立場。著者が児童福祉制度廃止を訴えるなかで主張するものこれであり、母親や彼女が属するコミュニティを支援することで子どもの安全と健康を守るためのより良い社会的な取り組みを拡充させるよう訴える。

監獄廃止や警察予算削減を主張する活動家のなかには、警察予算を削ってそれを社会福祉に注ぐべきだと主張する人も多いが、現実問題として児童福祉制度を含む社会福祉制度が警察と深く結びついた支配的な仕組みの一部となっていることにも目を向けなければいけない。わたし自身が関わる範囲でも、たとえば売春をしている未成年を犯罪者として扱うべきではない、被害者として保護の対象とすべきだ、という掛け声のもと、警察がそうした未成年を捕まえて社会福祉団体に連れていき強制的に「治療」を受けさせる、といった問題が起きており、それでは見た目を変えただけの人権侵害の継続に過ぎない。20年以上の経験に基づき、監獄廃止運動が警察や監獄だけでなく社会制度全体のより大きな変革を目指さなければいけないことを指し示す、新たな古典として広く読まれてほしい。