Laura Pappano著「School Moms: Parent Activism, Partisan Politics, and the Battle for Public Education」

School Moms

Laura Pappano著「School Moms: Parent Activism, Partisan Politics, and the Battle for Public Education

これまでにも公共教育のあり方をめぐるさまざまな論争を扱ってきたベテラン教育ジャーナリストの著者が、いま全国の教育現場を脅かしている新たな極右運動について取材した本。

本書は20世紀後半に起きた人種隔離政策の撤廃や公共教育における特定の宗教のお祈りの廃止に対する反発や、そこからはじまった学校選択制やチャーター・スクールを求める運動、ジョージ・W・ブッシュ政権で導入された統一テストとそれを元にした教員や学校への評価制度、ゲイツ財団の後押しでオバマ政権が推進した「コモン・コア」全国共通基準など、公共教育をめぐるさまざまな議論や論争を振り返り、それらはあくまで教育のあり方をめぐる価値観やそれぞれの教育政策の利点や欠点をめぐる議論であったのに対し、いま全国の教育現場で起きている「批判的人種理論」や「ジェンダー・イデオロギー」をめぐる論争はそれらと異なり、政治的権力の掌握を狙って事実を捻じ曲げてモラル・パニックを起こす手段として公共教育が利用されていると指摘する。

現実問題としていまの公共教育において、批判的人種理論は教えられていないし、子どもをゲイやトランスジェンダーにしようとグルーミングするような動きも存在しない。しかし極右運動は共産主義を信奉する学校や教師たちがアメリカ社会を分断し破壊するためにそうした教育を行っているとして主に母親たちを焚き付け、各地で教育委員会を乗っ取り、授業に使われる資料や図書館の蔵著を検閲し、教員や学校関係者を攻撃している。こうした動きは、もともと2020年のコロナ危機に際して学校が長期に及んで閉鎖され、再開後も教員や生徒たちにマスク着用やワクチン接種を義務化する政策に対する反発をきっかけに始まったが、それに便乗するかたちでマスクやワクチンに反対する親たちに対して極右政治家や活動家らが批判的人種理論や「ジェンダー・イデオロギー」の危険を吹き込み、全国的な運動へと拡大した。

著者はそうした運動に参加する親たちやかれらのやり玉にあがって仕事や安全を脅かされた教員や司書ら、あるいはそうした運動のおかしさに気づいて離脱した親たちにインタビューしたり、保守団体が全国の活動家を集めて開催したコンファレンスに参加して取材し、かれらの主張がどれだけ現実の公共教育のあり方からかけ離れ離れた陰謀論と権威主義に陥っているかを明らかにする。また、そうした運動の広がりに危機感を抱いた、保守派の親たちを含むその他の人たちが公共教育を極右による政治的な攻撃から守るためにはじめた抵抗運動についても取り上げる。

わたしにとって驚きだったのは、批判的人種理論という大学・大学院レベルでないと耳にすることもない法学的な概念を「アメリカを人種差別的な国だと決めつけ白人の子どもに罪悪感を植え付ける悪魔の理論」として歪曲し、人種差別にまつわるほとんどすべての議論や取り組みをそこに押し込めることに成功した極右活動家として、シアトルの保守系トークラジオでホストをしているジェイソン・ランツの役割を強調していること。ランツはブラック・ライヴズ・マター運動が広がった2020年、シアトルではアンチファを名乗る暴徒が警察を排除して「キャピトル・ヒル自治区」を宣言して無政府状態に陥っている、といった誇張した情報を全国に流してシアトルやBLMに対する誤解を広めた張本人だけれど、地元の保守トークホストだと思っていたらいつの間にかそんなに全国的な影響を持つ存在になっていたとは思わなかった。かれは批判的人種理論という言葉をありとあらゆる悪のシンボルとして認識させることに成功したことを自分の手柄として自慢しており、続いて「ジェンダー・イデオロギー」を同じように子どもを無理やりゲイやトランスジェンダーにしたり性的にグルーミングする(現実には存在しない教育を指す)概念として宣伝している。ランツが去年出した本、一応ダウンロードしてあるんだけど、読まないとなあ。

学校選択制をめぐる議論がもともと人種隔離政策の撤廃に対する反発からはじまったように、公共教育に対する攻撃が極右的な価値観によって起きているのは今にはじまった話ではないけれど、現実に人種融合が進むなか「黒人の子どもと同じ学校に自分の子どもを通わせたくない」という白人の親たちの反発は、人種差別的であるとはいえ実際の教育のあり方に関する意見だった、というのは確かにその通り。いま起きている公共教育に対する攻撃は、ありもしない脅威をでっちあげ、それを防ぐためとして教員や図書館司書を監視し、教育内容や図書館の蔵著を検閲するなど、実際の教育のあり方とは無関係な動きであり、そうした運動を扇動することによって子どものことを思う親たちを自分たちの組織に巻き込み、自らの権力を拡大しようとする極右運動の政治的な活動の一端だ。政治的に中立な立場から長年教育問題について報道してきたジャーナリストだからこそ、教育を政治の道具とする動きに対する著者の批判は厳しく、参考になる。