Jack Schneider & Jennifer Berkshire著「A Wolf at the Schoolhouse Door: The Dismantling of Public Education and the Future of School」

A Wolf at the Schoolhouse Door

Jack Schneider & Jennifer Berkshire著「A Wolf at the Schoolhouse Door: The Dismantling of Public Education and the Future of School

コロナ禍により全国の学校が長期閉鎖される未曾有の事態が起きていた2020年に執筆・出版された、公教育の危機についての本。著者らは人気の教育ポッドキャストのホストも務める教育問題専門家。

当初は白人男子だけが対象などの当時の価値観に基づいた排除はあったものの、公立学校(初等・中等教育)はアメリカの歴史において19世紀から、社会全体の利益の向上を目的として税金によって運営され、(当時の価値観がいうところの)誰にでも提供される公共財として理解されてきた。私立学校も存在したものの、その多くは差別の対象とされていたカトリック信者たちが自分たちの子どもに宗教教育をほどこすためのものであり、多数派であるプロテスタントからは否定的に見られていた。もっとも当時の公立学校ではプロテスタント式のお祈りや聖書教育も行われており、かれら自身が自分たちの教育は社会常識や文化でありカトリックのは宗教教育だと決めつけていただけだった。

米国において公立学校から私立学校への転換の動きが起きたのは、公教育における人種隔離を違法とした1956年の最高裁判決のあとだ。しばらくは判決に従わない地方も多かったけれどもケネディ・ジョンソン両政権により公立学校における人種隔離禁止が徹底されると、南部では公立学校を閉鎖してその分の予算を家庭にバウチャー(配給券)として分配し、好きな私立学校(人種別)に通わせる、という仕組みが採用された。その後、人種隔離という目的は「信仰に基づいた教育を子どもに受けさせるため」と変わり、また一般の公立学校に子どもを通わせている親たちからは、税金から(公立学校の予算を削って)宗教教育に予算を出す仕組みに対する反発が高まった。

しかし1980年代のレーガン政権時代は「小さな政府」の掛け声のもと、公立学校を廃止してバウチャーを配布し子どもたちを民間の学校に通わせるべきだ、という政策を取るようになる。これは教職員組合が民主党の支持層として力を持ち、教職員の待遇向上だけでなく民主党の選挙運動においても大きな影響を持ったことと無関係ではない。なかでも教職員組合が勝ち取った解雇規制などは、同じような保証を受けない一般労働者からのやっかみの対象ともなり、教育は特別な資格がなくても誰にでもできる、という偏見とともに、組合によって能力のない教員が既得権にしがみついている、というイメージが作られ、教職員組合に対する攻撃の口実となった。とはいえ宗教教育への税金による補助には反発が強く、レーガン大統領が退任するとバウチャー制は失速する。

1990年代、「第三の道」を掲げたクリントン政権になってバウチャーにかわり政治的な支持を得たのは、チャータースクール制だった。チャータースクールは民間が運営する公的学校のことで、独自の目的や教育理念を掲げた有志が公的支援を受けて設立し生徒を集めるかたちになる。また同時に、近くにある公立学校のなかから生徒や保護者が学校を選べるような仕組みも導入され、公立学校やチャータースクールなどのあいだで競争を起こすことで、教育を向上させる政策が取られた。これらの改革は貧しい地域に住んでいる黒人の子どもたちなどに劣悪な地元の公立学校以外の選択肢を与える、という名目で広められたが、地元の公立学校が劣悪な環境に置かれているそもそもの税制上・政治的な理由は放置された。またブッシュ(43rd)・オバマ両政権では、アーニー・ダンカン教育長官らにより統一テストの成績に基づいた教育予算の各学校への割り振りや教員の業務評価などが進められ、教育格差が生まれる根本的な原因を無視したままテスト対策への特化などの弊害も生まれた。

トランプ政権において教育長官になったベッツィ・デヴォスはアメリカ有数の大富豪であり共和党の大手献金者の一族の出身であるとともに、公立学校と教職員組合を敵視し教育私営化の運動を続けてきた活動家でもある。デヴォス教育長官のもと、教育の質云々ではなく「選択肢を増やして市場競争させる」こと自体が政策の目的とされ、「生徒に個別の対応ができていない」と決めつけられた公立学校からの予算流出は拡大し、またそれとともに利益目当ての私立学校やチャータースクールが増加した。それらの学校はソーシャルメディアによるターゲティング広告などに予算をつぎ込み、より利益が望めそうな生徒や学校の評判に繋がりそうな将来有望な生徒だけを集中的に勧誘し、障害のある生徒など教育コストの高い生徒を公立学校に押し付けた。しかし彼女が行った公立学校への攻撃は、その何十年もまえからクリントンやオバマなど民主党の政治家も加担してきた一連の政策の延長線上にあるものであり、彼女やトランプ政権だけに責任があるわけではない。

公共財として政府によってメインテナンスされるべき教育は、いまや公共の利益ではなく個人の選択を最大化させる私的財の一種として扱われ、にもかかわらず多額の税金が投入され食い物にされている。障害のある生徒や家庭に問題を抱える生徒などを排除できず派手なマーケティングを行う予算も持たない公立学校は、予算を奪われるとともにそこから逃げ出せない境遇にある生徒だけを押し付けられ、ますます困難な状況に陥っている。教員の待遇も悪化し、短期契約の教員を安い賃金で使い捨てたり、生徒を教えるのではなく統一テストに焦点を合わせたオンライン授業を生徒たちに見せるだけの形ばかりの学校になってしまったりしている。

コロナ禍によって広まったリモート学習は、そうした流れを強化したと同時に、それが決して望ましい教育のあり方ではないことを多くの人に再確認させた。クラスメイトと一緒に学校に通って十分な知識と能力のある教師から少人数のクラスで授業を教えてもらえる特権層の子どもたちと、家庭もしくはコールセンターのような収容施設で動画をリモートで見せられるだけの大多数の子どもたちという教育格差が今後さらに深刻化しないように、公立学校の再生を目指さなくてはいけない。