Rebecca Nagle著「By the Fire We Carry: The Generations-Long Fight for Justice on Native Land」
先住民モスコギー・ネーションの主権をめぐる数世紀にわたる闘争のなかで2020年に下された画期的な最高裁判決を、その歴史的背景とともに解説する本。著者はモスコギーではなくチェロキーだがモスコギーの専門家の意見を聞いて書かれている。
モスコギーはもともとアメリカ南西部に住んでいた民族で、ヨーロッパ人移民らの文化を一部的に受け入れたことで周囲のほかの民族とともに「文明化された五つの部族」という侮辱的な通称で呼ばれていた。しかしアメリカ南部で奴隷を使ったプランテーション農業が活発になると、かれらの伝統的な土地を奪おうとする白人入植者との戦いが頻発し、滅亡の危機に。ジャクソン大統領に脅されるかたちで先祖代々の土地を手放して大陸を西に横断し、約束された別の土地で民族文化の存続をはかることになる。この長旅ではたくさんの人が亡くなり、のちに涙の行進と呼ばれるようになる。
そうして犠牲を払ってたどりついたオクラホマの土地でかれらはコミュニティを根付かせるが、アメリカはさらに西方向に支配地を拡大させ、オクラホマにも新たな土地を求める白人入植者が殺到。アメリカ合衆国とモスコギー・ネーションのあいだの条約により自治が認められていたはずの土地はなしくずし的に奪われ、オクラホマ州が設立された。本書の主題となる最高裁判決につながる事件が起きたのは、それから百年以上がたった1999年だった。
事件は当初、そんな大きな話につながりそうもない、よくある殺人事件だった。犯人として逮捕されたのはモスコギー・ネーションの一員である男性で、普通に殺人罪で有罪となり死刑の判決が出たが、死刑囚の再審審査を支援している弁護士が裁判資料を取り寄せたところ、殺人現場が書類上、実際の現場より1マイルほどずらされていることに気づく。調べてみたところ、実際の殺人はかつてモスコギー・ネーションの居住区として条約上モスコギーによる自治が認められていた土地で起きていたことが分かり、もしその自治がいまでも有効であるならオクラホマ州には管轄権が存在しないことになる。
いやいやモスコギーの主権は現実問題として百年も前になしくずしに奪われているわけだし、そんな理屈で無罪放免になったりはしないだろう、と思いきや、法律的にはアメリカ政府が結んだ条約を州政府が勝手に取り消すことはできないはずで、したがって連邦政府によって正式に破棄されていないかぎり条約は今でも有効だというのが裁判所の判断。この判断を強く後押ししたのが、当時オクラホマを含む地域を担当していた第十巡回区控訴裁判所判事で、のちにトランプ大統領によって最高裁判事に任命された保守派のニール・ゴーサッチで、裁判所は法律の文面だけを基準に判断すべきだという原典主義が先住民の権利に有利に働いた。最高裁ではゴーサッチは控訴審でこの裁判を担当したからという理由で審理に参加しなかったけれども、控訴審判決を受けて有罪取り消しを求めて訴え出た別の被告の事件も同時に最高裁で取り上げ、そちらの判決をゴーサッチが書いた。
オクラホマ州は、もしモスコギーの主権が認められると、同様の歴史的経緯のあるほかの部族の主権も認められることになり、そうするとオクラホマ州の半分において州の主権が及ばないことになる、そうするとこれまでの何千件もの民事・刑事裁判の結果が無効となるばかりか、犯罪取り締まりができなくなり、また課税やさまざまな規制もできなくなってしまう、としてこうした判断を批判したが、実際のところ先住民の主権は部族構成員にしか適用されないし、一律に全員が釈放されるわけではなくそれぞれの受刑者が個別に判決無効を申請しなくてはいけなかったり、多くの事件では連邦政府や部族政府による追訴が可能なことなどもあり、実際にはそこまでの混乱は起きていない。実際、この件の犯人も普通に連邦政府による裁判にかけられて再び有罪判決を受けた。
この裁判が起きたとき、「殺人事件の判決無効を訴える裁判は、先住民の主権を認めさせるための裁判としてふさわしいのかどうか」という疑問もモスコギーやその他の先住民たちのあいだから起きたが、判決が出てみると、州政府が違法に奪った主権は消滅していない、という法的事実が確認された画期的な判決。しかしゴーサッチはともかく、その後さらに保守的な判事が二人も追加された最高裁では、こういうラッキーなアクシデントはもう起きないような気もする。