Nell McShane Wulfhart著「The Great Stewardess Rebellion: How Women Launched a Workplace Revolution at 30,000 Feet」

The Great Stewardess Rebellion

Nell McShane Wulfhart著「The Great Stewardess Rebellion: How Women Launched a Workplace Revolution at 30,000 Feet

かつてスチュワーデスもしくは「スカイガール」と呼ばれ、化粧や髪型、体重などを厳しく定められるだけでなく、独身であることが求められ妊娠が発覚したら即刻解雇、そうでなくても30歳前後になったら強制的に引退させられていたフライトアテンダントの女性たちが、公民権法成立と女性運動の高まりを受け、労働運動を通して航空業界を変えた歴史についての本。当時スチュワーデスは乗客の大部分を占める男性をもてなすホステスとしての役割を期待されていて、それは彼女たちを「結婚相手を探している」として性的に売り込むような広告を航空会社が出していたことからも分かる。ミニスカートやホットパンツの制服が採用されただけでなく矯正下着の着用も義務付けられていて、ちゃんと着ているかどうか男性従業員に抜き打ちで検査(体を触って下着を確認する)されたり、廊下に置かれた体重計で衆人環視のなか体重を量られたりするなど、当時のスチュワーデスの扱いはひどすぎる。なかにはフライトの進行とともにスチュワーデスが制服を段階的に脱いでいって薄着になるサービスをやらされたり、客に引っ張られると破れるような紙でできた制服を着せられたりも。

こうした扱いに不満を感じたスチュワーデスの何人かは所属していた労働組合を通して待遇改善を求めるも、労働組合が男性であるパイロットや整備工などの要求実現を優先しスチュワーデスの要求を取引材料として扱った(交渉のなかでスチュワーデスの要求を取り下げることと引き換えにほかの要求を会社側に受け入れさせた)こともあり、変化はなかなか起きなかった。また成立したばかりの公民権法を使おうにも、公民権を施行する政府機関EEOCですら当初は公民権法の性差別禁止の規定を軽視していた。EEOCで働いていたたった一人の女性法律家が動いてスチュワーデスの訴えを取り上げようとしたところ同僚に無視されたが、この法律家が1963年に発売された第二派フェミニズムの古典「The Feminine Mystique」の著者ベティ・フリーダンと出会ったことが、のちに最大のフェミニスト団体となる全米女性機構(NOW)の創設につながる。

フリーダンやフェミニズム雑誌「Ms.」を創設したグロリア・スタイナムら有名なフェミニストたちは、スチュワーデスの訴えが「メディア向き」であることに気づき、戦略的に彼女たちを支援した。ほかの業界で働いている女性たちもさまざまな面で性差別を経験していたけれども、彼女たちの訴えは男性が支配する大手メディアでは黙殺された。ところがスチュワーデスは外見で選抜されていることもあり被写体としてメディアを運営する男性たちの目を引きがちだし、男性コメンテータたちがコメントをしたくなる(多くの場合セクシスト的なそれだけど)要因にあふれていた。新たに設立された「女性の権利を求めるスチュワーデス」(SFWR)という団体のミーティングにスタイナムは積極的に参加し、彼女たちの運動を支援することを通してEEOCや議会を動かし性差別禁止の法律を実体化させようとした。のちに各航空会社のスチュワーデスたちは、それまでの労組から独立してスチュワーデスの権利を主張する労組を作ったり、より女性労働者の権利を尊重してくれる労組に移籍したりした。

性差別の訴えに対して航空会社は、スチュワーデスが特定の外見・年齢の独身女性でなければならないことには合理的な理由があり、公民権法で認められた例外に該当すると主張した。それはスチュワーデスの任務は男性がほとんどを占める乗客に癒やしを与えることであり、それができるのはそれらの要件を満たした女性だけである、ということ。しかし当時スチュワーデスより地位も給料も高い立場として男性のパーサーも雇用されており、給料が高く年齢や未婚であるなどの要件もなかったが、業務内容はスチュワーデスとほとんど変わらなかった。また一部の小規模な航空会社では男性をスチュワードとして雇っていたり結婚したスチュワーデスが(結婚指輪は外させられたけど)働いているところもあり、航空会社の主張は明らかにおかしかった。そうするうちにスチュワード志望の男性が「女性だけをスチュワーデスとして雇って男性を雇わないのは差別だ」とする裁判を起こした結果、男性スチュワードが少しずつ増えることになった。かれらの多くはゲイ男性で、性差別とは別の形で差別を受けたけれども、多くの場合スチュワーデスの運動に協力的だったし、とくにレズビアンのスチュワーデスにとっては相談できる仲間になった。また男性の同僚が登場したことで、航空会社が男性スチュワードと女性スチュワーデスの扱いに格差を設けていることが明らかになり、性差別をより直接的に指摘することができるようになった。

(ちなみにスチュワーデスたちが会社に対して真っ先に要求したのは、渡航先のホテルに泊まる際にパイロットやその他の搭乗員は一人一部屋使えるのに、スチュワーデスだけ何人かでシェアさせられていることの改善だった。別の路線に搭乗していてスケジュールが異なり面識もないことが多いスチュワーデスが部屋をシェアさせられるのはストレスになり、また異なる人種でシェアさせられた時には白人女性は安全や衛生面の不安を訴え、黒人女性はルームメイトの人種差別を訴えるなど不満が高かった。ちなみに男性スチュワードはゲイである可能性が高くシェアさせるのは危険と会社が判断したのか、一人一部屋もらっていたらしい。)

また航空会社側は、「結婚した女性」や「妊娠した女性」に対する差別は「女性全体に対する差別」ではないので公民権法が禁止するところの女性差別ではない、とも主張した。この論点については最高裁は1970年のSprogis v. United Air Lines, Inc.判決において「女性全体に対する差別でなくても、女性であることが差別の理由であるなら公民権法で禁止された性差別にあたる」という判断を下す。この判決は、たとえば「女性であること」ではなく「女性であるのに女性らしさを欠いていること」を理由とした差別など、ステレオタイプやジェンダーに関係した差別を広範に禁止すると解釈され、のちに同性愛者やトランスジェンダーの人たちに対する差別を違法とする判断にも繋がる。最近でも、若いころにポルノ映画に出演したことがある女性がそれを理由に「看護師としての気品に欠ける」として看護学校を退学させられた(わたしが少しだけ関わっている)件を「性差別」だとする判断が下されたけれども、これもスチュワーデスたちが闘ってくれたおかげ。

いやスチュワーデスめっちゃすごいじゃん!スチュワーデスたちが労働運動によって待遇改善を勝ち取った、という話は以前どこかでうっすら聞いたことあったけど、労働運動や裁判を通して画期的な先例を作り、それによってほかの女性労働者たちや、同性愛者やトランスジェンダーの人たちの権利も守ることになった、とまでは知らなかった。あと男性が牛耳る既存の労組に見切りをつけて独立した労組を立ち上げた話とか、フリーダンやスタイナムだけでなく、ベラ・アブズーグ、フロー・ケネディ、ポーリ・マレーら有名なフェミニストたちとがスチュワーデスたちと一緒に闘った話などもおもしろかった。

個人的な感想として、1960年代当時のスチュワーデスたちが仕事に不満を抱えつつも多くの人たちは労働運動に興味を示さなかったという部分を読んで、いまわたしが関わっているストリッパーやエスコートなどによる性労働者運動の難しさを連想した。当時スチュワーデスは結婚相手を見つけるまでの数年だけ働く仕事と位置づけられていてキャリアだとは思われていなかったので、いくら給料や待遇に不満があってもわざわざ運動に参加しようと考える人はそれほど多くなかった。そんなことをしても成果がある頃には自分は退職しているから直接なんの得もない。運動をしようとしているストリッパーたちが向き合っているのも同じような状況で、多くの人はどうせそんなに長く続ける仕事ではないと思っているから、労働運動に参加することに意義を感じていない。スチュワーデスたちは第二派フェミニズムの盛り上がりの恩恵を受けるかたちでそのハードルを乗り越え、年齢制限の撤廃を勝ち取ったあとはフライトアテンダントは長年働けるキャリアになったけど、より多くのストリッパーや性労働者たちが運動に参加する動機を持つとしたらどういう状況が必要なのかなあ、というのはずっと考えている。