Natalie Lampert著「The Big Freeze: A Reporter’s Personal Journey into the World of Egg Freezing and the Quest to Control Our Fertility」
病気により2つある卵巣のうち1つを失った著者が、生物学的な繋がりのある子どもを産む可能性を維持するために残る卵巣にある卵子を凍結保存するよう勧められたことをきっかけとして、卵子凍結の科学と卵子凍結・保存サービスを提供する業者、それを求める人たちに取材した本。ジャーナリストとして、そして卵巣のある女性として、卵子凍結について調べることを通して自分が卵子を凍結保存するかどうか考え続けた5年間の記録でもある。
近年、グーグルやアップルなどテクノロジー企業における福利厚生の一部として卵子凍結の費用を会社が負担する動きが広まっていて、そうすることで働き盛り世代の女性たちの離職をできるだけ避けようとする戦略を立てていることもあり、卵子凍結はキャリア志向の女性が妊娠・出産をできるだけ後回しにするための手段として見られがちだが、キャリアを優先して妊娠・出産を後回しにしているというイメージは実際に卵子凍結を選択した人たちの実情とはかけ離れている。卵子凍結を求める人たちは大きく2つに分かれており、最初のグループは妊娠・出産を希望しているものの一緒に子育てできそうなパートナーがいないため卵子を凍結することで時間の余裕を得ようとしている人たちで、もう一つのグループは30代後半になり自然に妊娠・出産できる可能性が先細りしていくことに不安を抱く人たちができるだけ機会を温存するために卵子を保存するパターン。もちろんそのほかにも、著者のように医学的な理由で子どもを持つ機会が失われることを懸念する人や、男性として生きるための医学的なトランジションを前に将来生物学的な繋がりのある子どもを作る可能性を残すために卵子を保存する人たちもいる。
女性が自然に妊娠・出産することができる可能性は、俗に「生物学的な時計」と呼ばれるように年齢と強く結びついており、30代中盤を超えたあたりから自然な妊娠・出産の可能性は劇的に低下していく。これは決して生物学的要因のみによって決定されたものではなく、たとえばArline T. Geronimus著「Weathering: The Extraordinary Stress of Ordinary Life in an Unjust Society」にも書かれているように、アメリカ社会で生きている黒人女性は同じアメリカ社会の白人女性だけでなく、黒人が多数を占める社会に住んでいる黒人女性と比べても出産の適齢期が早く訪れ、また早く終ることが、社会的ストレスによるウェザリングの研究で指摘されているが、年齢が上がるほど妊娠・出産しにくくなるのは事実。ところが若いうちに卵子を凍結しておくとあとになっても高い確率で妊娠・出産できることが分かっており、したがって卵子凍結の技術は「ある程度の年齢に達したら状況が良くなくてもキャリアや結婚相手に見切りをつけて妊娠・出産しなくてはいけない」というタイムリミットから女性を解放することになる。事実、卵子凍結を行った若い女性たちは口々に、タイムリミットに追われることから自由になりほっとした、という感想を口にする。
そうした解放的な一面がある一方、卵子凍結や保存、そして保存していた卵子を使って実際に妊娠するのにかかるコストの高さや、それによって強化される女性のあいだの経済格差、医学的措置によって本人にかかる身体的負荷、女性の人生と未来を預かる責務と短期的な利益を目指して次々に(多くは男性によって起業され)勃興しては廃れていくフェムテック系ベンチャー企業のサイクルの不安定さとそれによってもたらされる不安定さ、そして女性のリプロダクティヴ・ライツに対する政治的な攻撃が妊娠中絶だけでなく体外受精や受精卵凍結、卵子凍結にまで及ぼす影響など、解決されない問題も多い。著者はそうした問題にジャーナリストとしてだけでなく、卵子凍結を真剣に検討している当事者として深く切り込み、その成果を読者に報告するとともに、自身の決断を固めていく。
人工子宮のテクノロジーについて扱ったClaire Horn著「Eve: The Disobedient Future of Birth」でも論じられていたとおり、リプロダクティヴ・テクノロジーやフェムテックと女性の自由についての関係は複雑。妊娠・出産が生物学的な制約として女性の社会参加や自由の障害となっているからとそれらを女性の身体から引き離して技術的に解決しようとする試みは、しかしそれを資本主義の論理に乗せてしまうだけでなく、そうした技術の恩恵を受けられる側とそうでない側に女性を分断し格差を拡大してしまう。卵子凍結を必要としている人がそれを受けられるようにしたいと思うと同時に、本書のようにさまざまな方向から取材された本が読まれ、より豊かな議論が行われることを願いたい。