Marc J. Dunkelman著「Why Nothing Works: Who Killed Progress—and How to Bring It Back」
かつて全国に膨大な道路網や鉄道網を敷き、電化を進め、大量の住居を建設し豊かな中流階層を生み出したアメリカ政府が、どうしていま同じように気候変動や住居不足といった問題に対応できなくなってしまっているのか、その原因を解明し解決策を提示する本。
政府が大規模なプロジェクトを実施できなくなった理由としては、共和党が右傾化してこと政府の拡大に厳しく抵抗していることがまず考えられるが、大きな政府の存在は専制につながるとしてその権限と予算をできる限り小さく抑える考え方はアメリカ建国当初からあった立場であり、新しいものではない。建国当初のアメリカは常備軍を置かず徴税権すら持っていなかったが、バラバラの各州をまとめて強力な連邦政府を作ろうとしたハミルトンの連邦主義とそれに抵抗し各州政府の権限を最大限残そうとしたジェファーソンの共和主義は奴隷制のあり方とも絡みつつその後のアメリカ史における最初の大きな分断となった。
アメリカ連邦政府の権限は南北戦争や二度の世界大戦などを経て次第に拡大していくのだけれど、20世紀になると政府による社会政策の拡充を求めてきた左派・リベラル勢力のなかからも連邦政府権限の拡大に対する危機感が叫ばれるようになる。エドガー・フーバーFBI長官による公民権運動や反戦運動への監視・妨害活動が明らかになったり、経済政策を装った特定の企業に対する便宜や人種差別を固定化するように運用された住居支援や都市開発の政策、労働者保護の政策の裏で特定の産業が市場競争から保護され消費者の利益が損なわれるなど、政府の施策に対する不審が広まった。そうした政府不審を味方につけることで影響力を増したのが消費者活動家のラルフ・ネイダーで、かれの多数の訴訟活動の結果、政府の細々とした決定に公聴会が必要となり、また十分に市民や専門家の声を取り入れていないと判断されると政府の決定が撤回されるようになった。
著者によると、現在アメリカで政府が大規模なプロジェクトを実現できなくなっているのは、政府を信用しない左派・リベラル勢力が政府に義務付けた、環境や労働、市場への影響、サプライヤー、市民参加の有無、その他あらゆる側面からの規制や配慮の義務化、公聴会における審議、その他のプロセスの複雑化が原因。これらの仕組みはプロジェクトのコストを莫大なものにしたほか、どうしてもそのプロジェクトを潰したいと考える人たちに数多くの「潰せるポイント」を提供してしまう。もともと政府の役割は限りなく小さくするべきで、よほどのことがなければ大きなプロジェクトなど必要ないと考えている保守派ならそれでもいいが、民間企業や市民だけでは実現できないが公共の利益になる大きなプロジェクトを実現させたいと考える左派やリベラルにとっては致命傷だ。
バイデン大統領が成立させたインフラ法やインフレ抑制法などは、ジョンソン政権いらいもっとも大規模な公共プロジェクトのための支出拡大として(アフガニスタン、ウクライナ、ガザで最悪な常態にしてしまった外交とは異なり)近年稀な内政の成功例と言われたが、たとえば自然エネルギーを使った新たな発電施設設置を決めた予算では、発電する地域と電力を消費する地域への利権はバラ撒いたけど中継地点にはうまみが少なかったためか途中の送電施設建設が進まず、実際の導入は進んでいない。
都市の住居不足を解消するための施策においても、過去に強引に黒人コミュニティを立ち退かせて再開発をした反省などから地域住民の同意が必須となり、また地域の安全や健康にも配慮する義務が追加された結果、あらたな住宅開発がほとんど実現できなくなっている。住宅が建設されたら車が増えて危険になるのでは、子どもが増えて教育予算が足らなくなるのでは、という懸念はもっともだし、路上駐車や迷惑駐車を増やさないために駐車場の設置を義務付けたり、高層の建物ならエレベータ設置を、さらにそのエレベータは急病の患者が出ても大丈夫なように担架で乗せられる大きさが必要、公園や歴史的建築物は保護すべきだし、ゴミ収集のキャパシティを超えないようにもすべき、など、一つ一つはどれも合理的な考えなのだけれど、そのどの1つの要素を取っても裁判で建設をストップさせる理由になってしまうとなると、そもそも建設計画そのものが成り立たない。しかもそういった意見を述べるのは地域住民のなかでもその地域に希少性のある財産である不動産を所有している人たちで、住宅が建築されない結果そこに住むことができない「将来の住人」はなんの声もあげられないので、民主的ですらない。
著者はこうした構造を指摘し、リベラルが政府が社会問題を解決するよう期待するのであれば、ある程度政府を信用して権限を与えなければいけない、と、まあ当たり前のことを言う。裁判を通して拒否権発動をちらつかせるのではなく、事前の話しあいで政府に自分たちの懸念や不安を汲み取ってもらい、そのうえで政府が決定を下し、多少の不満が残っても人々がそれに従う、という形でなければ、政府はなにもできないままになってしまう。しかしそのためには政府がさまざまな社会の意見や利害を公平な立場から調整し結論を出している、という信用が必要であり、現に政府が特定の産業の利害代弁者となってしまったり、黒人や先住民の富や土地を奪って白人のものにしたりしてきた歴史がそれを許さない。トランプやマスクが乗っ取る以前からアメリカ終わりすぎててどうしようもない問題。