Alíx Dick & Antero Garcia著「The Cost of Being Undocumented: One Woman’s Reckoning with America’s Inhumane Math」

The Cost of Being Undocumented

Alíx Dick & Antero Garcia著「The Cost of Being Undocumented: One Woman’s Reckoning with America’s Inhumane Math

アメリカで非正規(不法)移民として生きる人たちがどのようなコストを支払わされているか、著者の一人であるDickの経験を通して語る本。内容自体はとても貴重で有益なのだけれど、後述するように共著者の謎のこだわりによりちょっと変な形式になってしまっている。

著者のDickはメキシコ・シナロア州最大の都市クリアカン出身。彼女の父親は食料品店を経営していて、夏休みに家族でアメリカ・カリフォルニア州のディズニーランドに旅行に行くくらい裕福な家庭だった。しかしクリアカンはメキシコ最大の麻薬カルテル・シナロアカルテルの本拠地でもあり、アメリカ政府の圧力によって激化したメキシコ軍とカルテルの戦争により危険が深まっていく。父は娘がカルテルメンバーの子どもたちと遊ばないよう厳しく言いつけるなどカルテルに関わらないよう気をつけていたが、借金をしていた相手がカルテル関係者だと分かり、返金する前に病死。カルテル相手に相続放棄が通用するはずもなく、家族は安全のために散り散りに逃げ隠れることとなった。

著者は幼い弟とともに、ジョージア州にいる父の古い友人を雇って観光ビザでアメリカに入国。労働資格はなかったものの生活のために仕事をはじめ、ビザも期限切れで失効し、非正規移民となってしまう。幼い弟を抱え実質的にシングルマザーとして必死に働くも、非正規移民であるために足元を見られ安く働かされたり給料を全額払ってもらえなかったりするし、病気になっても十分な医療にかかることもできない。ナニーとして裕福な白人たちの子どもの面倒を見るうちに「家族の一員」と紹介されたりもするけれど、何の保障もないし、なにかあれば解雇されるのは一瞬。頼っていた父の友人の夫が弟を虐待しても、付き合うことになったアメリカ人の男性に殺されそうになっても助けを求めることもできない。税金は払っているのに福祉や年金制度の恩恵は受けられず、将来への夢を見ることも難しい。

弟を守るために父の知り合いの家を出た著者はしばらくホームレスになるが、それをきっかけにいつかホームレスの人たちを支援する非営利団体を作ろうと決意する。のちに安定して仕事ができるようになり、熱心に通っていた教会で出会ったアメリカ人女性と一緒にそうした団体を設立するも、「非正規移民のあなたが表に立つと目立ってあなたのためにならない」という一方的な言い分で団体を乗っ取られるなど、信仰や政治的信念を共有しているはずの人にも裏切られる。弁護士になる夢は実現しなかったものの、不安定な仕事を続けながらも、ホームレスや非正規移民を守るために発言し、また映像作家になるというもう一つの夢をその中で実現していく。彼女が語る物語は何十万人といる非正規移民の物語のたった一つだけれど、アメリカ政府による移民排斥が強まり、リベラルの側まで「移民はアメリカ人がやりたくない仕事をやってくれている、経済的にはプラスだ」といった相手を人間扱いしていないような意見を言うなか、こうした話はもっともっと共有されてほしい。

で、最初に言った本書の形式についての話になるのだけれど、本書は学問的な「リサーチ」として出版されたらしく、共著者のGarciaはスタンフォード大学の教育学者でもある。著者らはもともと、自分の家でナニーとして働いてくれる人を募集していた大学教員とその募集に応募した労働者として出会い、実際に数年間に渡ってDickはGarciaに雇われて子どもの面倒を見ている。そしてDickの話に共感したGarciaはそれを出版するべきだと思い立ったのだが、普通に「著者Dick、協力者Garcia」で出版すればいいところなんだけど、Garciaは学術研究としての体裁をつけようとした。で、人間を対象とした研究を行う際に必要な承認を得るために大学の倫理委員会に研究内容を提案したものの、「いやそれは研究じゃないでしょ(無駄に時間を取るな)」って言われ、そっかじゃあ承認いらないんだとそのまま出版に至る。当事者であるDickを単なる研究対象として扱うのでなく共著者にしている、すばらしい倫理的な研究でしょ、って話なんだけど、そもそも雇用者・被雇用者の関係だし、本の大部分がDickの一人称で研究書っぽさは皆無。Dickの単著として出版し、Garciaには協力の度合いに応じて協力者として謝礼あるいは謝辞を出せば良かった。ちなみに出版したのも学術出版ではなくリベラル系の非営利出版社。

この、おそらくGarciaの謎のこだわりが本書の一番最初に出てきて、それが邪魔をしているんだけど、それ以外はすごく良い、いま必要な本。別に最初の断りの部分読まなくてもなんの支障もないから、それ飛ばして残りを読んで(っていうと多分逆に「読まなくていい」と言った部分に興味を抱かせてしまう気もする…)。