Majora Carter著「Reclaiming Your Community: You Don’t Have to Move out of Your Neighborhood to Live in a Better One」

Reclaiming Your Community

Majora Carter著「Reclaiming Your Community: You Don’t Have to Move out of Your Neighborhood to Live in a Better One

サウスブロンクスの貧しい地域の出身の黒人女性が、学校で良い成績をあげ機会を掴み環境問題への取り組みで注目を浴び数々の賞を受賞するなど大成功をおさめたのち、自分が生まれ育った地域をほんとうの意味で盛り上げるために奮闘した経験を綴った本。著者は貧困や暴力がはびこる地域からの脱出を目指して成績優秀な生徒だけが進学できる高校へ進学し、さらに大学・大学院に進むも、自分だけでなく同じように貧しい地域を出身とする多くの優秀な人たちが生まれ育った土地を捨てほかの街に流出していることに気づく。その結果、貧しい地域出身の人たちが成功したのち生み出す消費や雇用機会や税収はほかの地域に吸い取られ、貧しい地域は貧しいまま放置される。成功した人たちが土地を捨てる理由を著者は「貧しい地域はかれらが欲するライフスタイルに必要な施設を満たしていない」と指摘し、カフェや公園や(行政によるお仕着せではない)コミュニティセンターなどサードプレイスの欠如が貧しい地域からの頭脳流出の原因となっていると主張する。

著者によれば、貧しい地域に対する開発や資本投入は2つのパターンに分けられる。1つはジェントリフィケーションと呼ばれるもので、貧しい地域の土地や不動産をデベロッパーが安く買いたたき中流層向けの開発をすることでよりお金のある新住民を呼び込み、もともといた住民たちを追い出すもの。もう1つは貧困層のためと称してホームレスシェルターやその他の貧困層向けの施設やサービスを設置することで、さらに貧しい人たちを集め、地域全体の貧しさを固定あるいは加速させる公的投資。著者はそのどちらも否定し、地域出身の人たち自身によるサードプレイス創出とさまざまな階層の人たちの共存を基本とした開発を主張する。

ところが実際に彼女が地域開発の第一歩としてカフェを設置しようとすると、プエルトリコ人を中心とする地域の住民たちはジェントリフィケーションだと反対運動をはじめる。かれらからは著者は同じ地域の仲間ではなく、よそ者の出資者を手引してジェントリフィケーションを引き起こす裏切り者に見えていた。横のつながりによって生き延びている貧しいコミュニティのムラ社会にとっては、その気になればいつでも外に逃れられる著者は、たとえ同じ地域の出身者であったとしても既に信用できる仲間には見えなくなっていたのだけれど、著者はそれを理解できずにやっかみ、ヘイトと認識する(彼女は自身に対する批判者たちを「ファンクラブ」と呼び、からかっている)。またその反対運動のあと、それを教訓として地域の人たちと協議会を作って開発について一緒に話し合うことにしたものの、その成功例として彼女が挙げているのは「街頭売春をなくすために警察の取り締まりを強化してもらった」という事実であり、警察の取り締まりによって逮捕されたり収入を失った地域の人たちのことは忘れ去られている。

著者が見えなくなっているこれらのことを指摘するのは、彼女に対する批判ではなく、ジェントリフィケーションという問題の難しさを象徴していると思うから。わたしは20年ほどまえにポートランドで公共交通網の展開とジェントリフィケーションについて取り組むグループに参加していたのだけれど、知れば知るほど難しい問題だと痛感した。当時ポートランドではライトレールの設置が進んでいて市内各方面に便利な公共交通網が広がっていたのだけれど、それにより地域が発展し地価が高騰すると昔からあった店や以前からの住人が立ち退きを迫られるおそれがあると指摘されていた。グループではジェントリフィケーションの弊害を防ぐためにいろいろなアイディアが議論されたけれども、住民や店の利害が複雑に絡み合いみんなが納得する答えは出なかった。その経験から、この本の著者がやろうとしていたことはよく分かるし、彼女が目指す開発は目標として共感できるけれど、それを実施しようとしたときに地域住民の一部から反発を受けるのは当然だという思いもある。彼女がそれを頭ごなしに否定したり揶揄するのではなく、素直に向き合うことができていればよかったと思うのだけれど。