Liran Einav & Amy Finkelstein著「We’ve Got You Covered: Rebooting American Health Care」

We've Got You Covered

Liran Einav & Amy Finkelstein著「We’ve Got You Covered: Rebooting American Health Care

医療保険について研究してきた経済学者が、アメリカの医療保険制度を抜本的に作り直す方法を提言する本。

著者は逆選択の理論を通して保険業界のいびつさを説明した「Risky Business: Why Insurance Markets Fail and What to Do About It」の著者のうちの二人。医療保険について研究していますというと「アメリカの医療保険制度はどうしたらいいと思いますか?」とすぐに聞かれるのだけれど、そのたびに「保険は複雑だから簡単な答えはない」と言葉を濁していた著者。しかし著者の一人であるFinkelsteinが自分の父から「そうは言ってもこれまでずっと研究しているんだから何か案くらいあるだろう」と言われて覚悟を決めて書いたのがこの本。

医療保険制度がどうあるか議論するまえに、そもそも医療保険制度を政策的に維持しなくちゃいけない理由とはなんだろうか、問う著者。かれらによれば、それは目の前に病気で苦しんでいる人がいたときに、その人に医療を受けるお金がなかったとしても見殺しにせず、最低限の手は差し伸べなければいけないという伝統的な社会契約をよりスムーズに実現するためだという。経済学者のなかには「病気になっても誰も助けてくれないようになれば、それぞれ自分であらかじめ保険に加入したり、病気にならないように健康に気を配ったりするのに、手を差し伸べるから誰かが助けてくれることを当てにして自分の健康に責任を持とうとしないんだ」という冷酷なことを言う人もいるけれども、個人としてそうした社会契約に賛成するかどうかはともかく、現実にわたしたちはそうした社会契約を生きていて、無視できない。

アメリカでは伝統的に、国民皆保険制度や医療の社会化を拒みつつも、最低限の医療を保証するためのバラバラの施策が大量に生み出され、その結果ツギハギだらけのセーフティネットが提供されている。たとえば高齢者を対象としたメディケア、低所得者を対象としたメディケイド、妊婦や子どもへの補助、特定の診断を受けた人や特定の災害の被害にあった人に対する医療支援など、社会契約のほころびが明らかになりそれを是正すべきだという声が高まるたびに無規範にあらたな施策が導入されてきた。しかしその結果それらの人たちが十分に医療を受けられるようになったかというとそうではなく、たとえば収入の変動により支援を受けられたり受けられなかったりしたり、病状が変わったり妊婦が出産したり子どもの年齢が上がったりするなどで受給資格が変化、あるいは定期的な届け出を出しそこねて医療保険を失ったりする人が出てくる。医療保険をめぐる議論では、医療保険に加入していない人、加入できない人のことが問題となりがちだが、より大きな問題は「いま医療保険に加入している人が、医療が必要になったときにまだ加入しているとは限らない」という不安定さだ。

著者らはそうしたツギハギと穴だらけの医療保険制度をもたらしたこれまでの医療保険制度改革を批判、医療保険制度は抜本的に作り直されるべきだと主張する。いやそれはみんな分かってるのよ、政治的に現実的ではないだけで…というのはさておき、著者らが主張するのは、全員が自動的に加入する無償の「ベーシックな公的医療保険」の設立と、それに追加でよりグレードの高いケアにアクセスするための任意保険の組み合わせ。ベーシックな公的保険では、医者を自由に選べなかったり緊急でない医療については少し待たされたりするほか、入院したら個室ではなかったり病院食のメニューがそれほど豪華でなかったりするけれども、必要な医療を受ける権利は保証される。そのうえでより快適で便利なケアを受けるには、任意保険に加入する必要がある、という仕組み。

提案自体は目新しくもないのだけれど、経済学者として珍しいのは著者らが「ベーシックな公的保険」において医療のすべてを無償で提供すべきだと主張していること。多くの経済学者たちは「医療が無償だとほんとうに医者にかかることが必要かどうか吟味せずに医療を受ける人が出てきて無駄が生じる」として医療費の少なくとも一部を本人に負担させるべきだと主張しているのだが、著者らはそうした論理は経済学的には妥当だが現実の政治を見ていないと指摘。自己負担額が少なすぎると無駄を防げないけれども、多すぎると必要な医療を受けられない人がでてきてしまうので、実際に医療費の一部自己負担を導入している国ではさまざまな例外規定や自己負担分補助の仕組みが導入されていると著者らは指摘。それを許していては結局ツギハギだらけの支援制度を生み出し必要な人に支援が届かないだけでなく「誰がどの支援を受けられるのか」判定し支援を実行するために余分なコストがかかってしまうので、ベーシックな医療は社会契約を満たすだけの本当にベーシックなものに限ったうえでスパッと全て無償にすべきだと主張。

まあなんだかんだ言って著者らの提言が実現する見込みはないわけだけど、医療保険制度を「なんのために整備・維持しなければいけないのか」という視点はおもしろかったし、実現するしないは関係なく経済学者が根本から政策を考えたらこうなった、というのは参考になる。著者のお父さんがどう思ったか知りたいところ。