Kylie Cheung著「Survivor Injustice: State-Sanctioned Abuse, Domestic Violence, and the Fight for Bodily Autonomy」

Survivor Injustice

Kylie Cheung著「Survivor Injustice: State-Sanctioned Abuse, Domestic Violence, and the Fight for Bodily Autonomy

アジア系アメリカ人ジャーナリストで性暴力サバイバーの著者が、性暴力やドメスティック・バイオレンスと妊娠中絶の権利やリプロダクティヴ・ジャスティス、参政権の簒奪、警察による暴力、労働搾取、テクノロジーを通した監視資本主義、など現在アメリカが抱えるさまざまな社会的・政治的課題との繋がりを指摘し、サバイバー・ジャスティスの実現のためのヴィジョンを提示する本。

あまりのテンポで次から次へとさまざまな問題が性暴力やDVとどう繋がっているのかという議論が飛んできて、しかもハッとさせられる視点が数多く含まれているので、もともと性暴力やDVの問題に長年取り組んでいて、著者が挙げるさまざまな問題にも関心を持ってきたわたしですら少し立ち止まって考えさせられたほど。あまり性暴力やDVについて深く関わって来なかった人がこれを読んでもどこまでついて行けるのだろうか、という不安はあるものの、本書に書かれているうちの半分でも伝わったら十分価値があるので、広く読まれて欲しい。

わたし個人的に新しいと感じた点をいくつか紹介すると、たとえば白人女性の多くが女性への暴力を肯定したり女性の権利を制限しようとしているような政治家に投票しているという問題について。多くのDVサバイバーたちは物理的な暴力の被害や自立の障害となる経済的な困窮、法的な支援の必要性、カウンセリングの欠如など生活のために必要な課題に追われており、支援者たちもそうした部分に注目しがちだけれど、DVのある家庭において被害者が政治的な自由を行使できない問題がどれだけアメリカの民主主義に影響しているのか、きちんと調査されているとは言い難い。自分でニュースのソースを選べない、政治的な意見を言ったり集会に参加したりできない、投票に行けなかったり加害者にどう投票するか指示される(妻は手助けが必要だから、などと言って強引に彼女と一緒に投票ブースに入っていく夫がいるらしい)、あるいは加害者である元パートナーに住所が見つかることを恐れて有権者登録できない、など、DVは多くの女性(だけではないけれども)の政治参加の機会を奪っている。実際、DVが多いとされている地域では女性の投票率が低く、女性の権利に否定的な候補が当選しがちな傾向があり、被害を受けている個人だけでなくアメリカの民主主義そのものに関わる大問題が見過ごされている可能性がある。

あるいは妊娠中絶の権利をめぐる議論において、全面禁止というと厳しすぎて反発を受けるので「レイプ被害による妊娠の場合を除く」という例外規定が設けられることがあるが、性暴力被害者が被害を訴えだすことが難しく、訴え出ても中傷されたり疑われたりする社会において、その例外規定にどれだけの意味があるのか。そうした例外規定のある地域の多くでは例外を認められるためには警察への届け出が必要とされているが、性暴力被害者に届け出を義務付けるような制度そのものが人権侵害だし、性暴力の訴えを警察がはなから嘘つき呼ばわりしたり、性暴力事件は起訴や有罪に持ち込むことが困難だからと起訴率や有罪率を落としたくない警察や検察があれこれ理由をつけて門前払いをする世の中で、サバイバーに「自分は本当にレイプの被害を受けたのだ」と証明しろと迫るのは本当にありえない暴力。例外規定は妊娠中絶禁止派が「自分たちは性暴力サバイバーに加害者の子どもを生めと言うほど冷酷ではない」とアピールするためのレトリックでしかなく、現実にサバイバーの権利を守ることには一切繋がらない。

妊娠をめぐってはほかにも、主に黒人や先住民の女性を中心に、妊娠している人が麻薬を使用したり胎児の健康に悪いとされる生活慣習のある人が児童虐待で処罰されたり、あるいは胎児を保護するためと出産するまで拘束されたりすることがあるが、昨年の最高裁判決以降、妊娠中絶を殺人として扱う法律が各地に広まっていることで、妊娠した人が生活慣習を理由に殺人罪や殺人未遂罪に問われることも増えている。経口妊娠中絶薬を使った中絶と自然に起きた流産は厳密に判別できるものではないので、望まぬ流産で悲しみにくれている人が人種や階級に基づく偏見によって「違法に中絶したのでは」と疑われる事件も既に多数起きている。また政府による妊娠の取り締まりがエスカレートしている州では、患者が妊娠していたり、あるいは「いまは妊娠していなくても近い未来に妊娠するかもしれない身体を持つ」というだけで、もし医者が処方した薬によって胎児に悪影響があれば医者が殺人罪や殺人未遂罪に問われるおそれが膨らんだため、患者が必要とする薬の処方を医師が躊躇う事態にすらなっている。将来生まれるかもしれない子どもを守るために、既に生きている人間の自由や医療を受ける権利を奪われいわれのない嫌疑をかけられているわけだが、これらはリプロダクティヴ・ライツに対する侵害であるだけでなく、それ自体が国家による性暴力の一種だ。

著者のアジア系アメリカ人女性のサバイバーとしての経験を元にしたアジア人コミュニティが抱える課題についての分析も興味深い。女性に対するヘイトで知られる「男性権利活動家」(MRA)には「男性権利活動家アジア人」(MRAsians)というサブグループがあり、ネット上でアジア人女性に対する反感や敵視を共有・増幅している。自分とセックスしようとしない女性を敵視するインセルという存在はいくつかの悲惨な事件を経て広く知られるようになったが、アジア系アメリカ人インセルはアジア人女性を白人男性と付き合いがちな「勝ち組」として羨望すると同時に、彼女たちは本来なら自分たちアジア人男性のものであるはずなのに自分たちを「裏切った」と考えている。

ジョージア州で2021年3月に起きたアジア系マッサージ店での銃撃事件に代表されるように、コロナウイルス・パンデミックをきっかけに注目を集めるようになったアジア系アメリカ人に対する暴力の多くはアジア系アメリカ人の「女性」をとくに標的としている。それに対しアジア系アメリカ人女性たちが反アジア人主義とともに女性差別や性労働者差別(ジョージアの例からわかるように、アジア人女性は性労働を実際に行っているかどうかと関係なく性労働と結び付けられている)に対抗するために声を挙げると、アジア系アメリカ人インセルたちは彼女たちのことを「卑怯者」として批判するばかりか、個人情報をばらまいたり性暴力をほのめかすなどの嫌がらせを展開する。かれらによれば、アジア人男性がアメリカ社会において「男らしさを欠いている」とみなされていることが反アジア人主義の最も重要な問題であり、そうした中傷を打ち消すためにアジア人男性と付き合うことこそがアジア人女性が反アジア人主義に対抗する最も優れた方法だという。そしてこうした理不尽な攻撃は、白人男性と付き合っているアジア人女性はもちろん、交際している相手がいるのかどうか、そもそも男性と交際したいと思っているのかどうかすら明らかでないアジア人女性に対しても向けられている。

これらは本書の内容のごく一部でしかないが、性暴力やドメスティック・バイオレンスに対抗する運動がリプロダクティヴ・ジャスティス監獄廃止主義フェミニズムなどのインターセクショナルな運動に繋がる必要があることをこれでもかと訴える力強い本。アジア系アメリカ人フェミニズムの現在位置を知るためにもぜひ。