Joy Neumeyer著「A Survivor’s Education: Women, Violence, and the Stories We Don’t Tell」
カリフォルニア大学バークレー校大学院で歴史学を学んでいた著者が、同じ学部で出会ったボーイフレンドから受けた命の危険を感じるほどの暴力を大学当局に届け出たことで経験したことを、metoo運動勃発いらい目まぐるしく動いた世間の態度を背景として綴る本。
著者はかつて労働者の解放を唱えて誕生し独裁的な体制に変貌し長い年月を経て崩壊したソ連に興味を持ち、大学院でソ連の歴史について研究することに。そこで出会ったボーイフレンドは、最初は良かったものの精神的に不安定な面を見せるようになり、理不尽な嫉妬で怒り狂ったり著者を異様に貶めるような言動を取るようになる。ときにはお互い首を締め合って一緒に死のうと言い出し著者の首を締め付けるなど物理的な暴力にも及ぶようになり、著者は一時的に知り合いの家に逃げ隠れるなどする。ドメスティック・バイオレンスの統計では、首を閉める人は最終的にパートナーを死に至らしめる危険がその他の暴力より飛び抜けて高いとされており、致死性の高いケースとして扱われることが多い。
度重なる暴力によって著者が離れていくことを恐れたボーイフレンドは、自殺をほのめかして精神病院に強制入院させられたり、自分が加害行為を行っていることを伏せたうえで共通の友人たちに向けて「自分は子どもの頃虐待を受けていて、うつや自殺念慮に悩まされている」とソーシャルメディアで打ち明けたりして共感と同情を集め、著者のことを冷酷で自分の苦しみを理解しない相手だという印象を広めようとする。このあたりの描写は実際のソーシャルメディアの投稿やのちの大学当局による調査などの記録を元にしており、ほんとうに恐ろしいと感じると同時に、かれがメンタルヘルスの問題に苦しんでいたこと、子どもの頃に受けていた虐待の話もおそらく本当だろうということを感じる。
ボーイフレンドと別れることを決心した著者だったが、精神的に不安定な相手に追われ一時も安心できないので大学当局に被害を届け出、なんらかの措置を要請する。大学は元ボーイフレンドの行為が学内の規則に違反していなかったかどうか調査を開始し、ほかの学生や指導教員、ボーイフレンドのカウンセラー、その他の人たちから聞き取りをするが、そのなかで著者は自分がどれだけ周囲から自分が経験している被害を隠そうとしてきたか、そしてそれにも関わらず気づく人は気づいていたし、自分より深刻に事態を捉えていたかを知るも、友人だと思っていた人が相手の肩を持っていたことを知ったり、自分を守ってくれていると思っていた教員が実は加害者のほうを守ろうとしていることに直面するなど、知りたくなかったことも知ることに。
著者がボーイフレンドと出会ったのはオバマ政権の末期で、トランプが当選する直前。オバマ政権は教育における男女平等を定める法律の解釈を強化し、大学のキャンパスにおける性暴力やセクハラに対して大学当局が責任を持って適切な対処をするよう指導しており、大学が行った調査もそうした政策に基づいたもの。しかし数々の性暴力やセクハラが告発されそのたびに「魔女狩りだ!」と反発していたトランプが大統領になると、大学における性暴力やセクハラの告発への対応は行き過ぎている、加害行為を告発された側の権利を蔑ろにしているという男性権利運動の意見が幅を利かせるようになり、告発者に対して対面で反対尋問をする権利を保証するなど、刑事裁判に近い基準を採用するよう決められた。当たり前のことながら大学当局には捜査権限がなく、捜査令状や出頭命令を出せるわけでもないため、これは実質的に性暴力やセクハラの加害者の責任追及を限りなく難しくする政策。
metoo運動によって一時的に盛り上がった性暴力やセクハラへの告発の機運は、間違った告発が行われた少数のケースが大きく騒がれ、あらゆる告発に対して冷笑的な態度が広まった。その象徴となったのが、トランプによって最高裁判事に指名されたブレット・キャヴァナーによる性暴力を告発したクリスティン・ブラゼ・フォード氏に対するバッシングであり、「十分な証拠もなく加害者として告発された側を処罰すべきではない」という名分のもと、彼女やその他数人の女性たちの告発について一切の調査が行われることもなくキャヴァナーは最高裁判事に任命された。
また一方、同時期に盛り上がったブラック・ライヴズ・マター運動は、刑事裁判制度であれ学内の調査であれ告発した人やされた人の人種やセクシュアリティによって性暴力やセクハラの告発がどう扱われるかが影響される不平等を指摘するとともに、加害者の処罰ではなくアカウンタビリティと関係性の修復を狙う修復的司法などの取り組みを推進することで、加害者の責任をどう追求するかという問題を複雑化させた。
このように性暴力やセクハラをめぐる議論が目まぐるしく変わるなか、著者の訴えは最終的に認められ、加害者は大学を離れることになったが、指導教官が相手の肩を持っていたことを知った著者も大学には居づらくなり、研究者の道を断念することに。100%確証のある真実を明らかにすることはできなくても証拠を積み重ねてありそうな事実を組み立てていく歴史学の営みと性暴力やセクハラ、ドメスティック・バイオレンスなど第三者からは真実が見極めにくいプライベート空間における関係性の暴力を明らかにすることの難しさを併置させたり、ソ連でじわじわ進みつつある全体主義的な体制に抵抗したり押しつぶされたりした人たちの歴史をドメスティック・バイオレンスの被害者が感じる閉塞感を比べるなど、歴史研究者としての視点も鋭く、またソ連の政治史のなかからドメスティック・バイオレンスの被害を受けていたらしい女性の存在を浮き上がらせるなどしており、ドメスティック・バイオレンスの結果として著者が研究者になれなかったことが惜しまれる。