Christine Blasey Ford著「One Way Back: A Memoir」

One Way Back

Christine Blasey Ford著「One Way Back: A Memoir

2018年にトランプ大統領によって最高裁判事に指名されたブレット・キャヴァナーによる性暴力を告発し議会で証言した生物心理学者クリスティン・ブラゼ・フォード氏による自叙伝。証言に対するバックラッシュから安全のために身を潜めていた著者が五年を経て自らの語りを取り戻すとともに、アメリカ全土のみならず世界中から寄せられた多数の支援の手紙への返信として書かれている。

著者が育ったのは首都ワシントンDCの裕福な地域。事業で成り上がった著者の父親は政治やビジネスのエリートが集まるカントリークラブのメンバーで、同じクラブのメンバーであるキャヴァナー判事の父親とも親しくはないものの面識のある関係。恵まれた環境で育った著者は、15歳のときに参加したパーティの会場で当時17歳だったキャヴァナーによる性暴力を受ける。のちに親しい友人やカウンセラーにはその話をしたが、アンソニー・ケネディ判事の引退により生じた最高裁判事の空席にトランプが任命を考えている何人かの候補の一人としてキャヴァナーの名前を聞くまではかれを告発することは考えなかった。

キャヴァナーが次の最高裁判事の候補となっていることを知った著者は、親しい友人らに相談する。当初著者は公にキャヴァナーを告発する意図はなく、トランプ政権に自分の経験を伝えさえすれば、彼女の証言を公にすることなく政府の機関が適切な調査を行い、おそらく彼女一人ではないほかの被害者たちも見つけ出し、キャヴァナーの任命は避けられるだろうと考えた。キャヴァナー自身に連絡を取って「お互いのために告発は避けたいので最高裁判事への任命は辞退してくれ」と頼むことすらも考えたくらい。しかしトランプやキャヴァナーに知らせたらどういう結果になるか不安があったので、著者はワシントン・ポストの記者と地元の下院議員に匿名で証言を送り調査するよう依頼する。彼女の告発は上院司法委員会の民主党トップであるダイアン・ファインスタイン議員にも伝えられ、著者は自分は市民としての義務を果たしたと思ったが、ファインスタイン議員は著者のプライバシーを尊重するという口実でなんの調査も行わなかった。

そうしているうちにキャヴァナーは正式にトランプによって最高裁判事に指名され、上院で承認審査が開かれることになったが、キャヴァナーによる性暴力の告発をファインスタイン議員が握りつぶしているという報道が出たことで、著者の生活は一変する。報道では著者の名前は伏せられていたものの、著者の自宅には記者が集まり、なかには彼女が教えている大学の授業に潜り込んで授業中に取材をはじめようとする記者も。証言を適切な相手に届ければきちんと調査してもらえると思っていた著者は、こうしてなかば強制的に公にキャヴァナーによる性暴力被害を告発するよう強いられることになる。全国から彼女に対する脅迫が寄せられるなか、警備員を雇ってホテルに隠れ住む生活が続くが、議会に呼ばれて証言し、当初は彼女の証言を信頼できると言っていたトランプがその後彼女に対する攻撃をはじめると、彼女に対する誹謗中傷や脅迫はさらに激化。結局議会は彼女の証言を補佐できるほかの証人の話を聞こうともせず、またFBIに寄せられた多数のほかの告発の調査も行われないまま、キャヴァナー判事は共和党議員ほぼ全員の賛成により最高裁判事に任命される。

キャヴァナー判事が任命されれば著者に対する攻撃は収まるかと思ったら、共和党は告発への復讐とばかりに「キャヴァナー判事に対する告発の調査結果」と称して著者の過去のクラスメイトらから著者がどれだけ信用できない人間かという証言を集めた報告書を発表、その中には事実でないことがはっきり証明できる言いがかりも多かったけれども、告発の真実と称してそうした証言を引用し著者を攻撃する本がいくつも出版された。彼女を口汚く罵り脅迫する手紙も多数届いたし、ネットではさらに彼女に対する攻撃の割合が多く、著者は家族の安全のため引っ越しを迫られた。

しかし同時に、著者のもとに届いた手紙のほとんどは彼女を支援する人たちからのもので、自分もサバイバーだと明かして彼女に感謝する人たちも多かった。多くの一般のサバイバーたちやその家族たち、サバイバーであることを公言している有名人たちから支援の声が届き、オプラ・ウィンフリーの自宅にも何度か招待された。彼女より30年前にクラレンス・トマス最高裁判事のセクハラを告発したアニタ・ヒル氏とも出会い、彼女から助言も得た。著者が本書を出すまで六年かかったのは、彼女自身が身体的・精神的な安全を取り戻すとともに、彼女のことを攻撃した人たちに対する復讐心に駆られるのではなく、また被害を告発しようとする将来のサバイバーたちに「告発するとこんなひどい目にあう」とだけ伝えて萎縮させてしまうような結果にならないように書くにはそれだけの時間が必要だったということだ。

本書はまた、著者への支援の声をあげてくれた世界中のサバイバーやその他の支持者に対する、著者からの返信でもある。郵便で届いた数万通にも及ぶ手紙を著者は、心理科学の研究者らしく、学生やボランティアたちの手を借りて一つ一つ内容をもとにコーディングし、統計処理を行った。また、サバイバーからの手紙をそれぞれの選挙区ごとにまとめて政治家たちに「あなたの選挙区に住んでいる人たちはこんな経験をしている、性暴力の予防とサバイバー支援に力を入れてほしい」と伝えることも考えているという。DCのエリート社会で育ちながら研究者兼カリフォルニアの波に乗るサーファーとなった著者が、自分が矢面に立たずとも政府がきちんと調査してくれるという期待を裏切られ、エリート社会のタブーを破って告発しその結果人生を狂わせられながらも、サバイバーたちを絶望させるのではなく希望を与えたいと思ってサーファー哲学を絡ませつつ書いた、彼女の過去六年間が見えてくる本。