Ilham Tohti著「We Uyghurs Have No Say: An Imprisoned Writer Speaks」

We Uyghurs Have No Say: An Imprisoned Writer Speaks

Ilham Tohti著「We Uyghurs Have No Say: An Imprisoned Writer Speaks

新疆ウイグル自治区の分離独立を呼びかけたとして2014年いらい中国政府によって収監されているウイグル人経済学者イリハム・トフティ氏が収監前に発表した論文、エッセイ、インタビューなどを集めた本。

収録された記事は2005年から2014年のあいだに発表されたもので、トフティ氏のウェブサイトや海外メディアなどに掲載された。かれがサイト「ウイグル・オンライン」を開設したのは漢族とウイグル族の相互理解を促すためで、とくに中国語でウイグル人の文化や生活を伝えることで漢族のあいだにあるウイグル族への偏見を正すとともに、中国がウイグル族やその他の少数民族を包摂する多民族国家として繁栄するための意見を発信していた。2009年に起きたウルムチ騒乱やその後に北京などでウイグル人過激派が起こした事件などでウイグル人の生活に対する監視や圧迫が深刻化するなか、トフティ氏は中国政府がテロリズムや宗教的過激主義、分離主義を抑えるためとして行っている政策がそれらを逆に助長していることを指摘し、穏健な一般のウイグル人やイスラム教徒を政府がパートナーとしてウイグル社会発展を目指すべきだと提言した。

本書に収録されたトフティ氏の主張は、もちろん中国ではかれのような知識人がウイグル分離独立を自由に主張できる状況にないことを差し引いても、かなり穏健というかむしろ保守的だ。ウイグル人は多民族国家中国の一員として漢民族やほかの少数民族らと共に繁栄することができるという希望を語り、中国政府は自らの憲法や法律に掲げられた自治の尊重や民族平等の原則をないがしろにしているとして、政府が法律を守るよう要求する。また教育においては全国共通語としての中国語の重要性を認めたうえで本当の意味でのバイリンガル教育を求め、一般のイスラム教徒たちが現代的なイスラムの文献に触れられるよう過激主義ではないイスラム教文献のウイグル語での流通を認めるよう訴える。政府が「正統なモスク」やそれらを率いる宗教指導者たちを認定し統制することすらトフティ氏は認めたうえで、その枠組のなかで信仰の自由が尊重されるべきだと主張。中国政府の対外戦略のうえでもウイグル人は中国政府のさらなる覇権に貢献できるはずだ、とトフティ氏は主張する。ウイグル文化はカザフスタンやキルギスなど周囲の中央アジア諸国の文化とも通ずるところがあり、ウイグル人エリートが中国で指導的な役割を担うようになれば中国は中央アジア政策やイスラム圏に対する外交に有利になると言う。

トフティ氏は活動家や人権運動の象徴として扱われることを一貫して警戒する。かれが繰り返し語るのは、自分はあくまで一人の知識人としてウイグル族と漢族の相互理解に貢献したいと思っていて、仕事の合間にサイトの運営や執筆活動を行っているだけだ、ということ。欧米の人権団体から持ちかけられる活動資金提供のオファーも断り、外国企業が絡むビジネスすら避けている。こうした保守的かつ注意深い姿勢にも関わらずトフティ氏の活動は習近平政権によって危険視され、サイトは強制的に閉鎖、かれの家族やたまたま会話をしただけの一般人に至るまで尋問を受けるようになり、ついにかれは国家分裂を画策したとして逮捕され、無期懲役の刑に処される。しかし有罪判決直前に残した声明においても、かれは将来ウイグル人と漢人がお互いを尊重しながら平和に共存する未来を思い描く。

かれの視点で興味深いと思ったことが二つある。一つ目は、かれがいま新疆ウイグル自治区で起きていることはあくまで「ウイグル人と中国政府のあいだの対立」であると考えていて、中国政府が憲法や法を遵守するよう方向転換さえすれば問題は解決できると訴える一方、政府系メディアなどを通してウイグル人に対する偏見が広められつつあるなか「ウイグル人と漢人のあいだの対立」になり今後数世代に及ぶ遺恨を残してしまうことをとても懸念していること。二つ目はそれとも関連していて、一部の活動家とは違いかれは中国の民主化は必ずしも状況の改善に繋がらないと考えていること。はっきりとは書かれていないけれど、一つ目の考えと繋げると、いまは中国が民主的でないからこそ「中国政府の違法行為」が問題だと言えるけれども、民主化されるとどうしても圧倒的多数派である漢人とウイグル人など少数民族の直接の対立となってしまうと考えているように思える。

わたしは活動家なのでトフティ氏の主張はずいぶんと保守的だなあと感じるし、実際ウイグル独立を主張する活動家たちからはかれを批判する声もあるのだけれど、ここまで穏健な、というか政府におもねった主張をしている知識人すら許容できなくなっている習近平政権はかなりまずいんじゃないだろうか。