Bruce J. Dickson著「The Party and the People: Chinese Politics in the 21st Century」

The Party and the People

Bruce J. Dickson著「The Party and the People: Chinese Politics in the 21st Century

冷戦終結を生き残り建国70年を超えてなお一党独裁を続ける中国共産党がどのような手法で国内をまとめ政権を維持しているのか説明する本。著者は中国政治を専門とするジョージワシントン大学の政治学者。中国内外の研究を元とした客観的な立場から書かれていて、普段の報道を読むだけではあまり見えてこない中国共産党の巧みな政権運営の仕組みが見えるようになる好著。

著者はまず中国共産党の施政を時代ごとに解説したうえで、近年の中国共産党政権が、政権に対する異議申し立てや政権を脅かすような運動を激しく弾圧する一方、国民が訴える具体的な不満、たとえば地方政府の腐敗や横暴、環境破壊や公害の被害、生活の苦しさなどに応答することで、民主主義を回避しつつ国民の支持を得る手法を確立してきたことを説明する。市民運動の存在を基本的には否定しつつ、地方の役人に対する住民の不満に同調するようにして介入することで、共産党や中央政府は民衆の味方だという印象を作り出すだけでなく、地方政府の動きに対する監視の一端として住民運動を利用したりもする。そうして不満がおさまったあとには、住民が将来また安易に運動をはじめないように運動の指導者の何人かを見せしめに逮捕・処罰する。

もちろん住民の側も、共産党の政策に反対するような運動は弾圧されることはわかったうえで、一部の腐敗した役人が共産党の政策に反した行為をしている、共産党が認めている権利の行使を妨げている、というかたちで運動を起こすことで、政府の側から具体的な譲歩を得ようとする。政治的自由や民主的選挙はないけれど、多くの人たちの生活上の不満や不平に応答する仕組みが行き届いていることが、中国共産党がそれなりに住民の支持を得て安定して政権運営できている理由だろう。

同じようにさまざまな市民団体や宗教団体などに対しても、共産党政権の脅威とならない限り保護を与えつつ懐柔したり、情報源や社会サービス提供者として利用したりしてコントロール下に置くような施策が張り巡らされている。いっぽう民主化を主張する香港や中国本土の活動家や中国からの独立や自治権拡大を主張するチベット人やウイグル人といった少数民族、動員力を見せつけて共産党への脅威とみなされた法輪功などに対しては、国際社会の目を盗みつつ容赦のない弾圧が行われる。

中国における「愛国主義」についての章はとくに興味深い。中国では1989年の天安門事件をきっかけに若者の「愛国心」を育てることで将来的な社会不安定化を防ごうとして「愛国教育」が強化された。それまでの中国でももちろん「愛国教育」は行われていたけれども、それは列強の植民地主義に抵抗し日本軍を追い出した中国共産党の勝利を誇りにするという形だった。それに対して1990年代以降の「愛国教育」では、アヘン戦争にはじまり欧米や日本による植民地主義によって侵略を受け続けた被害者としての中国を強調し、天安門事件やチベット弾圧に対する国際社会の批判をその延長線上に位置づけるようなメッセージを教育に取り入れた。

そうした「愛国教育」を受けた若い世代の中国人たちはこれまでの世代より愛国的である、と欧米のメディアでは繰り返し紹介されているが、著者はこうした描写は実際のデータに反すると主張する。中国における愛国心についての研究では、どのように愛国心を定義しても一貫して年齢が高い層ほど愛国的であり、若くなるほど愛国心が薄くなっている、としている。政府が打ち出した「愛国教育」のメッセージにもっとも影響を受けたのは実際に日本軍の占領を経験したり日本軍と闘った世代や、その話を聞いて育った世代であって、共産党政権が狙ったほど若い層に愛国心は根付いてはいない。単に中国が国際社会において力を付けた結果として中国の愛国主義、とくにネットに書き込む若者のそれが目立っているだけなのかもしれない。

また1995年の米軍によるベオグラード中国大使館誤爆事件や2012年の日本政府による尖閣諸島(釣魚島)国有化などを契機に起きた中国本土における愛国主義的(反米・反日)デモについて、中国共産党は民衆の愛国主義を煽ってコントロールしているのだとする説と、民衆の愛国主義は共産党のコントロール下にはなく政府は対応に苦労しているという説があるが、著者はそのどちらも単純化し過ぎであり、民衆の愛国主義と共産党は連携しつつもあるときは政府の制御から外れ政府から対外協調の選択肢を狭め、あるときは政権の不安定化を起こさないように厳しく押さえつけられる関係にあるとしている。

中国共産党による一党独裁が70年以上も続いている理由として、著者は共産党が毛沢東時代の個人崇拝から制度的な独裁体制に移行することに成功したことを挙げている。最高指導者の地位には任期制限が設けられ、早いうちから後継者が任命されるため、個々の指導者が亡くなったり退位・失脚しても混乱は生じず平和的な権力委譲が行われる。また共産党組織のとくに下部ではコネや人脈だけでなく有能さを示した人が昇進する仕組みが作られ、それによって得点にならない政策課題が放置されたり正確な情報を報告しなかったりする弊害もあるものの、競争相手による監視や住民たちによる合法的な請願運動などによる歯止めも効くようになっている。

その意味では、2012年に実権を握った習近平は、任期制限を撤廃し終身任命を可能にしたり、後継者を指名しない、住民運動に対する迎合をやめ強権的に弾圧するなど、中国共産党がこれまで成功してきた秘訣を放棄するような行動に出ている。これまで住民運動や非政府組織、非政府メディア、合法的(見せかけの)野党などが果たしてきた「地方の不満や現場における実態を中央に伝える」役割を取り上げ、テクノロジーによる監視によって情報を集めようとしているけれども、長期的な安定をもたらすことができるかは未知数。こうした動きは、習本人の権力は強化するけれど、長期的には中国共産党の統治を危うくしていると著者は指摘する。

中国が民主化する可能性について著者は、中国共産党が自ら民主化を推進してソ連崩壊を後追いすることはないとして、まずは共産党政権が崩壊するかどうかが問題だとする。そして現状では共産党政権を倒すような対抗勢力はどこにもなく、また仮に共産党政権が崩壊したところで民主勢力が権力を握る見込みはほぼない。残念だけれど、まあそうだよなあと。