Erin McElroy著「Silicon Valley Imperialism: Techno Fantasies and Frictions in Postsocialist Times」
シリコンバレーがテクノロジー産業の中心地になる以前の植民地主義の歴史をポスト共産主義のルーマニアに重ね合わせ、シリコンバレーから波及したテクノ資本主義がルーマニア社会に起こしている影響とそれへの抵抗について論じる本。
著者はワシントン大学の地理学者であり、ベイエリアでテクノロジー産業によって締め出されている住民たちの運動にも参加しており、わたしは学内のイベントでこの本を知って読んだ。「シリコンバレー帝国主義」というタイトルはシリコンバレーが社会に与えている影響力の大きさや支配力の強さをたとえたものかと思いきや、ポスト共産主義から市場経済への移行を背景としてシリコンバレーがルーマニアに新たな支配者として覇権を広げ、それに伴って貧富の差の拡大や排他的ナショナリズムの台頭が起きていることを扱った、思った以上にリアルな意味があった。
ルーマニアは高速で安価なインターネットや英語が話せる人が多いことなどからシリコンバレー企業の進出が活発だが、それらの企業でエンジニアや経営者として高級を得ているのは海外から来たエリートたちで、ルーマニア人たちの多くは外国人エリート労働者たちの流入によって起きた物価や家賃の上昇に苦しみながら、将来的な出世や昇給に繋がらないカスタマーサポートやエリートたちのケアなどの仕事で働いている。また、もともとルーマニアには地域文化に同化しない異端として少数民族のロマ人が排斥の対象とされてきたが、いつのまにかWi-Fiのあるインターネットカフェやシェアオフィスではたらく新しい働き方を一定の土地に定住しない遊牧民にたとえた「デジタル・ノマド」がもてはやされるようになる一方で、本物のノマドであるロマ人への差別は排他的ナショナリズムの広がりによって強化されている。
ルーマニアにおけるシリコンバレー帝国主義の極端な例と言えるのが、極端な女性蔑視で知られ多数の女性や子どもに対する性虐待や性的人身取引で逮捕されたアンドリュー・テイトだ。かれはLaura Bates著「Men Who Hate Women: From incels to pickup artists, the truth about extreme misogyny and how it affects us all」にも描かれているような女性嫌悪的なインターネット空間(マノスフィア)で人気を博し、それを通して得た資産で多数の国の永住権を獲得したあと、ルーマニアで弟とともに多数の女性たちを侍らせて豪勢な生活をしていた。インフルエンサーとしてソーシャルメディアの最悪の部分に便乗して成功したテイトのルーマニアでの生活は、植民地主義時代に植民地に移住し現地の資源や労働力を搾取していた宗主国の支配層を思い起こさせる。
本書はそこから、ルーマニアの人たちが独裁者ニコラエ・チャウシェスクが君臨していた共産党時代に見知りした、少なくとも名目としては存在していた反帝国主義・反資本主義の理念を掘り起こし、それをシリコンバレー帝国主義への抵抗に採用しようとしていることを描き出す。かれらが目指すのはもちろん、かつてのような強権的で個人崇拝的な共産主義ではなく、現代の帝国主義に対抗し人々の生活を守ることだ。また、そうした流れが排他的ナショナリズムに回収されないようにするためにも、一部のルーマニア人たちは自らをナチスの被害者やナチスに対する抵抗者としてのみ自認するのではなく、ロマ人やユダヤ人に対する差別がもともとルーマニアには存在し、多くのルーマニア人たちがナチスに賛成してかれらの組織的殺害に参加した過去を見つめ直すという困難な作業にも取り組んでいる。